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日本からイタリアへの手紙☆国際郵便のちから
コンシェルジュ : 菅澤 彰子
【2008年5月22日[Thu]】
日本からイタリアへの手紙☆国際郵便のちから
今朝、日本から手紙が届いた☆
消印を見て驚いた
2008年5月19日
なんと月曜の日付だ!
by Akiko Sugesawa
日本から月曜に送って
イタリアに木曜に着いた
これは私のごく個人的な歴史の中で
「日本発イタリア行き普通郵便」
過去最短記録である☆
私が初めてイタリアで
日本からの郵便を受け取ってから
12年と少しが経つ
当時の通貨リラの切手の時代から
イタリアの郵便は
はるかに進化を遂げている
ヨーロッパの中でも
悪名高い時期が長く続いた
日本の企業でも
イギリスやドイツでは郵便扱いなのに
「イタリアは郵便事情がよくないので
お届けはクーリエサービスで」というのは
つい最近の話である
民営化を経て
よくなってはきているのだろう
でも、いまだに謎と疑惑は残る(笑)
報道でも流れる周知の事実だ
それにしてもこの手紙は
たったの3日で、たったの110円で
一万キロの旅をしてきたのだから
素晴らしい☆
良く考えてみると
これが2週間たってきても
1ヵ月たってきたとしても
やっぱり素晴らしいと思うし
恵まれていると感じる
私たちの生活は
あまりにも忙しすぎる
確かに3日で届いたのは嬉しいけれど
何も3日で届けてくれるまで
がんばってくれなくても
別にかまわないと思う
人間はどこまでも貪欲だから
「3日もかかるなんて遅い!」
なんて時代もいつしか来るのだろうか?
それはやっぱり何かが歪んでいる
今、私の家に郵便を届けてくれる人は
若い女性だ
とても落ち着いた、きれいな人だ
ベテランのサルデーニャ人のおじさんから
バトンタッチした
ヘルメットをかぶってバイクに乗り
雨の日も風の日も
各家を一軒一軒回る
「がんばってね!」と
つい、こちらから声をかけたくなる
一通も間違えず郵便を届けるのは
やっぱりすごい仕事だ☆
昨日の午前中、新鮮な食材の仕入れに
メルカート(市場)に出かけたとき
彼女を見かけた
こちらが「どんな美味いものを料理しようか」
というときに、彼女は仕事中だった
一通一通、真剣な面持ちで
宛名をチェックしていた
(↑こちらとしても食材選びに
やっぱり真剣だったんだけどね(笑))
うちには海外からの郵便や小包が
しょっちゅう届くから
すっかり顔見知りになった
彼女はにっこり笑って
"Ciao!" と言った
郵便とは差出人が重要で
誰が届けてくれてもいいものなのかも知れない
そもそも、多くの人の手を経ているはずだ
これが3日で届いた事実に驚いた瞬間
私は彼女の顔を真っ先に思い浮かべていた
あんまり遅くて届かないときは
「あのう、まだですかぁ?」と
誰もが郵便局に問い合わせすると思うけれど
こんなときは、どうしよう?
「あのう、日本からの郵便が3日で届いたんです。
お忙しい中、本当にどうもありがとうございました!」
この気持ちはいったい
誰に伝えればいいのだろうか?
私はこの小さな手紙にかかわった
すべての人たちがいったい誰なのか
知りたい気持ちに駆られている
日本とイタリアの
無名の仕事人たちに
心からの敬意を表したい☆
* * *
私がこれまでの人生の中で
手紙を最も多くもらった時期というのは
はっきりとしている
電子メールが普及する直前
バーリに居たときだ
→こちら
南イタリアの僻地に日本からの手紙が
たくさん届いた
確か、中国とアメリカと
ブラジルからのも混じっていた
ダイレクトメールは一通もない
100%、励ましや応援の手紙だ☆
その時期の交友関係が
非常に広かったというのもあるが
そのくらい、南イタリア留学というのは
当時としては珍しいことだった
イタリアの「南」を旅する日本人というのも
ほとんどいなかった時代だ
所属する研究室においても
私の後にイタリア留学生は何人も続いたが
当時としては画期的なことで
今になって冷静に振り返ってみれば
それは爆発的なエネルギーが要ることであった
(↑もちろん、当時は夢中だから
そんなことに本人は気づかない(笑))
知り合いもコネもない
もちろん日本人もひとりもいない
そういう世界で24歳の私は
何かを切り拓いていくしかなかった
その爆発力は私一個人に作用したものではなく
研究室全体としてのイタリア都市研究を
活気づけることにつながっていった☆
バーリでの滞在も半年を過ぎたころ
届いた手紙のすべてを
部屋の真っ白い壁に張ることにした
青いリポンをピーッと水平に何本も延ばして
手紙が届いた順にそこに貼り付けていった
日本は手紙の文化が盛んで
色とりどり、さまざまなデザインの封筒や便箋
そして美しい記念切手を貼ってくれる人が多かったから
手紙が届くたびにそういう楽しみもあった
その姿は
「まるで万国旗を見るようであった」
新しい手紙が届くたびに
またそこに付け加えた
当時の私をはるばる遠くまで訪ねてきて
この壁の万国旗を眺めた日本人というのは
おそらく7人くらいだろう
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日本からイタリアへの手紙☆国際郵便のちから
今朝、日本から手紙が届いた☆
消印を見て驚いた
2008年5月19日
なんと月曜の日付だ!
by Akiko Sugesawa
日本から月曜に送って
イタリアに木曜に着いた
これは私のごく個人的な歴史の中で
「日本発イタリア行き普通郵便」
過去最短記録である☆
私が初めてイタリアで
日本からの郵便を受け取ってから
12年と少しが経つ
当時の通貨リラの切手の時代から
イタリアの郵便は
はるかに進化を遂げている
ヨーロッパの中でも
悪名高い時期が長く続いた
日本の企業でも
イギリスやドイツでは郵便扱いなのに
「イタリアは郵便事情がよくないので
お届けはクーリエサービスで」というのは
つい最近の話である
民営化を経て
よくなってはきているのだろう
でも、いまだに謎と疑惑は残る(笑)
報道でも流れる周知の事実だ
それにしてもこの手紙は
たったの3日で、たったの110円で
一万キロの旅をしてきたのだから
素晴らしい☆
良く考えてみると
これが2週間たってきても
1ヵ月たってきたとしても
やっぱり素晴らしいと思うし
恵まれていると感じる
私たちの生活は
あまりにも忙しすぎる
確かに3日で届いたのは嬉しいけれど
何も3日で届けてくれるまで
がんばってくれなくても
別にかまわないと思う
人間はどこまでも貪欲だから
「3日もかかるなんて遅い!」
なんて時代もいつしか来るのだろうか?
それはやっぱり何かが歪んでいる
今、私の家に郵便を届けてくれる人は
若い女性だ
とても落ち着いた、きれいな人だ
ベテランのサルデーニャ人のおじさんから
バトンタッチした
ヘルメットをかぶってバイクに乗り
雨の日も風の日も
各家を一軒一軒回る
「がんばってね!」と
つい、こちらから声をかけたくなる
一通も間違えず郵便を届けるのは
やっぱりすごい仕事だ☆
昨日の午前中、新鮮な食材の仕入れに
メルカート(市場)に出かけたとき
彼女を見かけた
こちらが「どんな美味いものを料理しようか」
というときに、彼女は仕事中だった
一通一通、真剣な面持ちで
宛名をチェックしていた
(↑こちらとしても食材選びに
やっぱり真剣だったんだけどね(笑))
うちには海外からの郵便や小包が
しょっちゅう届くから
すっかり顔見知りになった
彼女はにっこり笑って
"Ciao!" と言った
郵便とは差出人が重要で
誰が届けてくれてもいいものなのかも知れない
そもそも、多くの人の手を経ているはずだ
これが3日で届いた事実に驚いた瞬間
私は彼女の顔を真っ先に思い浮かべていた
あんまり遅くて届かないときは
「あのう、まだですかぁ?」と
誰もが郵便局に問い合わせすると思うけれど
こんなときは、どうしよう?
「あのう、日本からの郵便が3日で届いたんです。
お忙しい中、本当にどうもありがとうございました!」
この気持ちはいったい
誰に伝えればいいのだろうか?
私はこの小さな手紙にかかわった
すべての人たちがいったい誰なのか
知りたい気持ちに駆られている
日本とイタリアの
無名の仕事人たちに
心からの敬意を表したい☆
* * *
私がこれまでの人生の中で
手紙を最も多くもらった時期というのは
はっきりとしている
電子メールが普及する直前
バーリに居たときだ →こちら
南イタリアの僻地に日本からの手紙が
たくさん届いた
確か、中国とアメリカと
ブラジルからのも混じっていた
ダイレクトメールは一通もない
100%、励ましや応援の手紙だ☆
その時期の交友関係が
非常に広かったというのもあるが
そのくらい、南イタリア留学というのは
当時としては珍しいことだった
イタリアの「南」を旅する日本人というのも
ほとんどいなかった時代だ
所属する研究室においても
私の後にイタリア留学生は何人も続いたが
当時としては画期的なことで
今になって冷静に振り返ってみれば
それは爆発的なエネルギーが要ることであった
(↑もちろん、当時は夢中だから
そんなことに本人は気づかない(笑))
知り合いもコネもない
もちろん日本人もひとりもいない
そういう世界で24歳の私は
何かを切り拓いていくしかなかった
その爆発力は私一個人に作用したものではなく
研究室全体としてのイタリア都市研究を
活気づけることにつながっていった☆
バーリでの滞在も半年を過ぎたころ
届いた手紙のすべてを
部屋の真っ白い壁に張ることにした
青いリポンをピーッと水平に何本も延ばして
手紙が届いた順にそこに貼り付けていった
日本は手紙の文化が盛んで
色とりどり、さまざまなデザインの封筒や便箋
そして美しい記念切手を貼ってくれる人が多かったから
手紙が届くたびにそういう楽しみもあった
その姿は
「まるで万国旗を見るようであった」
新しい手紙が届くたびに
またそこに付け加えた
当時の私をはるばる遠くまで訪ねてきて
この壁の万国旗を眺めた日本人というのは
おそらく7人くらいだろう
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