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ローマ学生たちのデモンストレーション☆その真相とは?
コンシェルジュ : 菅澤 彰子
【2008年12月5日[Fri]】
ローマ学生たちのデモンストレーション☆その真相とは?
先日、ある会合に出席した
イタリア中に激震を走らせている
あの話題がテーマである
もちろん、日本に住んでいる人には関係が無い
なんてったって、遠い国の話
・・・と思うかもしれない★
でも、そうでもないだろうなぁー
と私は感じている
なぜかというと
イタリアは日本人に大人気だからである☆
「イタリアへ行きたい!」という人が
後を絶たない
そうした多くの日本人にとって憧れの地が
今、国の政策によって大きく変わろうとしている
新しい学校改革についての話だ
内部の話なので、国際的には
あまり伝えられていないかもしれない
日本からの旅行者にしてみれば
「デモがあるので混雑が予想されます」
と業界の人から知らされる程度だろう
この調子だと、単なる観光の邪魔としてしか
日本人には扱われないことになり
それも何だか、わびしい気がする
この教育に関する改革案は
国民からひどく反対されているのが最大の特徴だ
先週金曜、ローマで学生たちによる大規模な
デモストレーションがあった
こうした学生のデモは、今に始まったことではなく
各大学都市で何度も繰り広げられてきた
学生だけではなく、教授たちも参加している
私に一番身近なところでは、シエナ大学である
10月にMさんとシエナでお会いしたときにも
シエナ大学の拠点となるパラッツォ(館)の前に
学生たちが集まり、抗議していた
「コウギ」といっても「抗議」が繰り返され
「講義」が無くなる混乱である
イタリアの大学はそのほとんどが国立なので
大幅な予算削減は大問題である
現在あるイタリアの大学の多くは
中世に起源を持っている
中世に台頭してきた企業家たちは
諸都市に大学をつくり、学問に貢献した
それが今の観光大国イタリアをつくりあげている!
といっても過言ではない
もし、それがなかったなら
頭脳の時代が来ることはなかったであろう
つまりイタリアは
ルネサンスという創造の時代を
経験していないはずだ!
歴史に「もし」は無意味だが
「もし」で考えると見えてくることもある
中世がそのままだったなら
ジョットもブルネレスキも
ダ・ヴィンチもミケランジェロも
いなかったはずである
ルネサンスを通過しなければ
バロックという時代も無かったはずだ!
古代遺跡と中世の教会だけのローマを
ちょっと想像してみてほしい
(教会の時代区別はちょっと難しいかな?!)
バチカンだって、中世までは今とはかなり違った
システィーナ礼拝堂の天井画はおろか
ローマのスカイラインを決定付けている円蓋(クーポラ)さえ
存在しなかったはずである
by Akiko Sugesawa
ダイナミックなスペイン階段だって
by Akiko Sugesawa
ロマンチックなトレヴィの泉だって
by Akiko Sugesawa
無かったことになる・・★
今のローマの都市空間を特徴づけている
さまざまな都市改造だって無かったはずだ
そうなると映画だって
『ローマの休日』や『甘い生活』の名シーンの数々は・・・
映像の美しさなくしては語れないこれらの名画を見て
印象に残る場面はいったい何だろう?
オードリー・ヘプバーンが
スペイン階段でジェラートを食べながら
グレゴリー・ペックに再会するシーン
マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが
トレヴィの泉で戯れるシーン
これらが、全然違ったものか
あるいは存在しないものとなってしまう!
そもそも映画自体が・・・
・・・?!★?!★
そろそろ、この辺で止めておこう(笑)
近年にも、政府が変わるたびに
学校政策も何度も塗り替えられてきたが
こんなにも大きく揺れることはなかった
学齢の子供を持つ、持たないに関わらず
地域問題にまで関わってくる
閉鎖される小学校もたくさん出てくるのだ
先日の会合では
事態をしみじみと肌で感じた
「学校が貧しくなるということは
文化が貧しくなるということである」
「学校は国の最大の投資である」
「町に学校がなくなるということは、
すべてを失うということであり、町にとっては死を意味する」
新しい学校の仕組みで育っていく子供たちが
果たして何十年か先にも・・・
生まれ育った土地に誇りを持ち
取り巻く環境の真の価値を見出し
魅力的な国を維持し続けられるかどうか
そのことも今
問われているように思うのだ
社会へ出るのに高い学歴が必要かどうか
という議論は別として
学校教育は、その弊害を差し引いてでも
価値あるものである
先週、ローマの学生たちは、冷たい雨の中
市内の大通りや広場を練り歩いた
そして一週間後の今日もまた、やるらしい
共和国広場からトラステヴェレまで5時間の長丁場だ
彼らが欲しているのは、学ぶ自由である
イタリアには「精神を開放するために」
大学へ行くという考え方がある
つまり、学問とはそういうもの
自由な気風なしにして
いかなる才能も開花しない
そのことは他のどの国よりも
イタリアが知っているはずだ
世界各国から人々が訪れるローマで
彼らの叫びが世界中に知れ渡り
明るい兆しが見えてくることを願いたい☆
by Akiko Sugesawa
*** あとがき ***
この記事『ローマ学生たちのデモンストレーション☆その真相とは?』
に書いたことは、実際の「真相」ではないかも知れない
おなじ「シンソウ」でも「深層」といったほうがいい気もする
イタリアの話をしているが日本が直面している
様々な要素を盛り込んだメッセージだ
読む人のそれぞれの環境や立場と照らし合わせて
何かしら感じてもらえるところがあれば、本望である☆
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ローマ学生たちのデモンストレーション☆その真相とは?
先日、ある会合に出席した
イタリア中に激震を走らせている
あの話題がテーマである
もちろん、日本に住んでいる人には関係が無い
なんてったって、遠い国の話
・・・と思うかもしれない★
でも、そうでもないだろうなぁー
と私は感じている
なぜかというと
イタリアは日本人に大人気だからである☆
「イタリアへ行きたい!」という人が
後を絶たない
そうした多くの日本人にとって憧れの地が
今、国の政策によって大きく変わろうとしている
新しい学校改革についての話だ
内部の話なので、国際的には
あまり伝えられていないかもしれない
日本からの旅行者にしてみれば
「デモがあるので混雑が予想されます」
と業界の人から知らされる程度だろう
この調子だと、単なる観光の邪魔としてしか
日本人には扱われないことになり
それも何だか、わびしい気がする
この教育に関する改革案は
国民からひどく反対されているのが最大の特徴だ
先週金曜、ローマで学生たちによる大規模な
デモストレーションがあった
こうした学生のデモは、今に始まったことではなく
各大学都市で何度も繰り広げられてきた
学生だけではなく、教授たちも参加している
私に一番身近なところでは、シエナ大学である
10月にMさんとシエナでお会いしたときにも
シエナ大学の拠点となるパラッツォ(館)の前に
学生たちが集まり、抗議していた
「コウギ」といっても「抗議」が繰り返され
「講義」が無くなる混乱である
イタリアの大学はそのほとんどが国立なので
大幅な予算削減は大問題である
現在あるイタリアの大学の多くは
中世に起源を持っている
中世に台頭してきた企業家たちは
諸都市に大学をつくり、学問に貢献した
それが今の観光大国イタリアをつくりあげている!
といっても過言ではない
もし、それがなかったなら
頭脳の時代が来ることはなかったであろう
つまりイタリアは
ルネサンスという創造の時代を
経験していないはずだ!
歴史に「もし」は無意味だが
「もし」で考えると見えてくることもある
中世がそのままだったなら
ジョットもブルネレスキも
ダ・ヴィンチもミケランジェロも
いなかったはずである
ルネサンスを通過しなければ
バロックという時代も無かったはずだ!
古代遺跡と中世の教会だけのローマを
ちょっと想像してみてほしい
(教会の時代区別はちょっと難しいかな?!)
バチカンだって、中世までは今とはかなり違った
システィーナ礼拝堂の天井画はおろか
ローマのスカイラインを決定付けている円蓋(クーポラ)さえ
存在しなかったはずである
by Akiko Sugesawa
ダイナミックなスペイン階段だって
by Akiko Sugesawa
ロマンチックなトレヴィの泉だって
by Akiko Sugesawa
無かったことになる・・★
今のローマの都市空間を特徴づけている
さまざまな都市改造だって無かったはずだ
そうなると映画だって
『ローマの休日』や『甘い生活』の名シーンの数々は・・・
映像の美しさなくしては語れないこれらの名画を見て
印象に残る場面はいったい何だろう?
オードリー・ヘプバーンが
スペイン階段でジェラートを食べながら
グレゴリー・ペックに再会するシーン
マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが
トレヴィの泉で戯れるシーン
これらが、全然違ったものか
あるいは存在しないものとなってしまう!
そもそも映画自体が・・・
・・・?!★?!★
そろそろ、この辺で止めておこう(笑)
近年にも、政府が変わるたびに
学校政策も何度も塗り替えられてきたが
こんなにも大きく揺れることはなかった
学齢の子供を持つ、持たないに関わらず
地域問題にまで関わってくる
閉鎖される小学校もたくさん出てくるのだ
先日の会合では
事態をしみじみと肌で感じた
「学校が貧しくなるということは
文化が貧しくなるということである」
「学校は国の最大の投資である」
「町に学校がなくなるということは、
すべてを失うということであり、町にとっては死を意味する」
新しい学校の仕組みで育っていく子供たちが
果たして何十年か先にも・・・
生まれ育った土地に誇りを持ち
取り巻く環境の真の価値を見出し
魅力的な国を維持し続けられるかどうか
そのことも今
問われているように思うのだ
社会へ出るのに高い学歴が必要かどうか
という議論は別として
学校教育は、その弊害を差し引いてでも
価値あるものである
先週、ローマの学生たちは、冷たい雨の中
市内の大通りや広場を練り歩いた
そして一週間後の今日もまた、やるらしい
共和国広場からトラステヴェレまで5時間の長丁場だ
彼らが欲しているのは、学ぶ自由である
イタリアには「精神を開放するために」
大学へ行くという考え方がある
つまり、学問とはそういうもの
自由な気風なしにして
いかなる才能も開花しない
そのことは他のどの国よりも
イタリアが知っているはずだ
世界各国から人々が訪れるローマで
彼らの叫びが世界中に知れ渡り
明るい兆しが見えてくることを願いたい☆
by Akiko Sugesawa
*** あとがき ***
この記事『ローマ学生たちのデモンストレーション☆その真相とは?』
に書いたことは、実際の「真相」ではないかも知れない
おなじ「シンソウ」でも「深層」といったほうがいい気もする
イタリアの話をしているが日本が直面している
様々な要素を盛り込んだメッセージだ
読む人のそれぞれの環境や立場と照らし合わせて
何かしら感じてもらえるところがあれば、本望である☆
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