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トスカーナ連載第4回☆古代エトルリアのヴォルテッラ
コンシェルジュ : 菅澤 彰子
【2009年11月18日[Wed]】
トスカーナ連載第4回☆古代エトルリアのヴォルテッラ
さまざまな方面から、多くの方々に支えられたおかげで、
『トスカーナの小都市を旅する』連載も
そろそろ中盤を向かえることができました。
最新号が公開されましたのでお知らせいたします。
★連載『トスカーナの小都市を旅する』第4回
ヴォルテッラ~悠久の大地に聳える古代エトルリア都市
今回のは、ちょっと変わった記事になっています。
と申しますと、、、
いつも変わっているじゃないか!という
声もどこからか聞こえてきそうですが・・・(笑)
今回は、ヴォルテッラといって、
とても小さなトスカーナの町を訪れます。
この短い文章の中に
実はたくさんの要素が詰まっています。
ヴォルテッラは、
あまり知られていない町です。
いつもどおり、歴史への視点から、
都市の重厚さについて話を進めるのですが、
今回は現代美術の要素も取り入れています。
これについて一言。
記事本文のほうを読んでいただかないと
ちょっと意味が分からないと思いますので、
それから以下を読んでみてください。
▼ ENTRA ▼
・・・・・
・・・・・
・・・・・
"Luoghi d'Esperienza "という
ランドスケープ・アートの題名についてです。
私はこれを「記憶の場所」と訳したのですが、
イタリア語で直訳すれば「経験の場所」なんです。
書かれていませんが、「土地の」経験なんだと思います。
土地それぞれが経てきたもの。
ある土地に蓄積されているものというのは、
私たち、ちっぽけな存在の人間には到底計り知れない、
太古のからのもの、そういう意味でのスケールの大きな
「経験」なんだろうと思います。
私たち人間の営みは、そのうちのほんの一部に過ぎない。
大きな自然観、宇宙観みたいなところまで
アートによって表現されているように思うのです。
ここで私が「経験」を「記憶」に置き換えてしまったら、
それは人間が知っているところからの、という感じで
ひどく限定してされてしまうものになるかもしれない。
けれども私は、あえて「記憶の場所」と翻訳しました。
そこに眠っている深い深い何かを呼び覚ます、
あるいは掘り起こすような感じです。
ヴォルテッラには、そんな崇高な感じがあるのです。
私のいう歴史というのは、人間が登場してからの、
たいてい「都市の」形成レベルでのお話なんです。
ところがこれは、「地球の」形成という
より壮大なる次元にあって
とんでもないところまで意識が遡る。
私たちが体内に持っているDNAをいくら駆使したって、
そんなところへはとても行けそうにない、
もう、お手上げ!(笑)な領域です。
その地下に鉱脈が走っているとか、土壌の性質とか、
地質学的なことをたとえ何も知らないとしても
その独特な風景の中のオブジェは、静かに詩性を放ち、
どこか遠くへといざなうような力があるのです。
ヴォルテッラの大地にたたずむM.Staccioli氏による彫刻のオブジェ
では仮に「経験の場所」と訳したとして、
その日本語の文字列だけを見てみましょう。
なんだか誰かが何かを経験した場所のように感じられて、
かえって薄っぺらになってしまうような気がするのです。
深みがなく、浅い。
ピンときません。
日本語でそう文字にしたときに、
「人の」経験のような匂いが強く出てしまうのです。
外国語を知っていくと、日本の言葉とは
必ずしも一対一で対応しているとは限らない
ということに気づきます。
原義に忠実であろうとするあまりに
なぜか遠ざかってしまう、不思議な現象。
イタリア語と日本語、ふたつの言語の隔たり、
微妙なニュアンスのちがいみたいのを
たったこれだけのことですけれど、非常に感じました。
「経験」と「記憶」の間を行き来する、
どうにも悩ましい体験です(笑)
辞書というのは最強のツールなのですが
万能ではないようです。
とにかく、これを取り上げるからには、
どちらかにしないと、いけません。
そもそも「絶対的に正しい」といえる翻訳など
ありえないでしょう。
必ずや訳者の解釈が媒介となります。
結局のところ、これはタイトルなので、
直訳的なものよりは、やっぱり日本語として
しっくりくるほうがいいだろうということで
「記憶の場所」に決めました。
作品の創造の過程には
さまざまな思考が巡らされているはずです。
おそらく芸術家は、
言葉をたっぷりと吟味したうえで
風景を取り込んだ自身の作品群に"Luoghi d'Esperienza"
というタイトルをつけたことでしょう。
私はそれを最大にリスペクトするかたちで
「記憶の場所」と翻訳させていただきました。
この風景芸術、日本語のメディアでは
きっと伝えられていないんじゃないかと思います。
最先端の現代芸術なんですけれども、
それがなぜか、一番深いところに眠る
古層部分を喚起しているのです。
芸術というのは偉大です。
とりわけ私は、
この芸術家の着眼力が素晴らしいと思います。
本物の芸術家というのは、
やはり時代の先を見ているというか・・・
不意にツボを突かれたような衝撃がありました。
こうした細やかな言葉のあやなど
どうでもよくなってくるくらいに、
何か伝わる力強いものがあるといいですが。
たとえそれが、実体験の旅から得る感動の
ほんの何万分の一に過ぎないとしても。
芸術展示のパンフレット
Volterra- Luoghi d'Esperienza
Mauro Staccioli
13 settembre- 8 novembre 2009
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こちら
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さまざまな方面から、多くの方々に支えられたおかげで、
『トスカーナの小都市を旅する』連載も
そろそろ中盤を向かえることができました。
最新号が公開されましたのでお知らせいたします。
★連載『トスカーナの小都市を旅する』第4回
ヴォルテッラ~悠久の大地に聳える古代エトルリア都市
今回のは、ちょっと変わった記事になっています。
と申しますと、、、
いつも変わっているじゃないか!という
声もどこからか聞こえてきそうですが・・・(笑)
今回は、ヴォルテッラといって、
とても小さなトスカーナの町を訪れます。
この短い文章の中に
実はたくさんの要素が詰まっています。
ヴォルテッラは、
あまり知られていない町です。
いつもどおり、歴史への視点から、
都市の重厚さについて話を進めるのですが、
今回は現代美術の要素も取り入れています。
これについて一言。
記事本文のほうを読んでいただかないと
ちょっと意味が分からないと思いますので、
それから以下を読んでみてください。
▼ ENTRA ▼
・・・・・
・・・・・
・・・・・
"Luoghi d'Esperienza "という
ランドスケープ・アートの題名についてです。
私はこれを「記憶の場所」と訳したのですが、
イタリア語で直訳すれば「経験の場所」なんです。
書かれていませんが、「土地の」経験なんだと思います。
土地それぞれが経てきたもの。
ある土地に蓄積されているものというのは、
私たち、ちっぽけな存在の人間には到底計り知れない、
太古のからのもの、そういう意味でのスケールの大きな
「経験」なんだろうと思います。
私たち人間の営みは、そのうちのほんの一部に過ぎない。
大きな自然観、宇宙観みたいなところまで
アートによって表現されているように思うのです。
ここで私が「経験」を「記憶」に置き換えてしまったら、
それは人間が知っているところからの、という感じで
ひどく限定してされてしまうものになるかもしれない。
けれども私は、あえて「記憶の場所」と翻訳しました。
そこに眠っている深い深い何かを呼び覚ます、
あるいは掘り起こすような感じです。
ヴォルテッラには、そんな崇高な感じがあるのです。
私のいう歴史というのは、人間が登場してからの、
たいてい「都市の」形成レベルでのお話なんです。
ところがこれは、「地球の」形成という
より壮大なる次元にあって
とんでもないところまで意識が遡る。
私たちが体内に持っているDNAをいくら駆使したって、
そんなところへはとても行けそうにない、
もう、お手上げ!(笑)な領域です。
その地下に鉱脈が走っているとか、土壌の性質とか、
地質学的なことをたとえ何も知らないとしても
その独特な風景の中のオブジェは、静かに詩性を放ち、
どこか遠くへといざなうような力があるのです。
ヴォルテッラの大地にたたずむM.Staccioli氏による彫刻のオブジェ
では仮に「経験の場所」と訳したとして、
その日本語の文字列だけを見てみましょう。
なんだか誰かが何かを経験した場所のように感じられて、
かえって薄っぺらになってしまうような気がするのです。
深みがなく、浅い。
ピンときません。
日本語でそう文字にしたときに、
「人の」経験のような匂いが強く出てしまうのです。
外国語を知っていくと、日本の言葉とは
必ずしも一対一で対応しているとは限らない
ということに気づきます。
原義に忠実であろうとするあまりに
なぜか遠ざかってしまう、不思議な現象。
イタリア語と日本語、ふたつの言語の隔たり、
微妙なニュアンスのちがいみたいのを
たったこれだけのことですけれど、非常に感じました。
「経験」と「記憶」の間を行き来する、
どうにも悩ましい体験です(笑)
辞書というのは最強のツールなのですが
万能ではないようです。
とにかく、これを取り上げるからには、
どちらかにしないと、いけません。
そもそも「絶対的に正しい」といえる翻訳など
ありえないでしょう。
必ずや訳者の解釈が媒介となります。
結局のところ、これはタイトルなので、
直訳的なものよりは、やっぱり日本語として
しっくりくるほうがいいだろうということで
「記憶の場所」に決めました。
作品の創造の過程には
さまざまな思考が巡らされているはずです。
おそらく芸術家は、
言葉をたっぷりと吟味したうえで
風景を取り込んだ自身の作品群に"Luoghi d'Esperienza"
というタイトルをつけたことでしょう。
私はそれを最大にリスペクトするかたちで
「記憶の場所」と翻訳させていただきました。
この風景芸術、日本語のメディアでは
きっと伝えられていないんじゃないかと思います。
最先端の現代芸術なんですけれども、
それがなぜか、一番深いところに眠る
古層部分を喚起しているのです。
芸術というのは偉大です。
とりわけ私は、
この芸術家の着眼力が素晴らしいと思います。
本物の芸術家というのは、
やはり時代の先を見ているというか・・・
不意にツボを突かれたような衝撃がありました。
こうした細やかな言葉のあやなど
どうでもよくなってくるくらいに、
何か伝わる力強いものがあるといいですが。
たとえそれが、実体験の旅から得る感動の
ほんの何万分の一に過ぎないとしても。
芸術展示のパンフレット
Volterra- Luoghi d'Esperienza
Mauro Staccioli
13 settembre- 8 novembre 2009
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