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コンシェルジュブログ

コンシェルジュ : 大谷 泰江
【2005年5月21日[Sat]】

テニアン PART13 

















テニアンは何となく沖縄に似てる感じがしてます。
チャモロ人の温かい大らかな人柄。
多民族で、とってもグローバル。
戦争や侵略の歴史。
気候。
自然。
などなど、例を挙げるといくつでも出てきそうです!

しかし、まだ驚くべきことがありました!!
1920年代付近に、沖縄の方がブラジルやチリ、ハワイなどに移民されているのはご存知ですか?
で、その当時テニアンにも多くの沖縄の方が移住されていたそうです。
テニアンだけでなく、サイパンなど他の島々にもね!!
そして、移住先で沖縄の人は他の日本人移民者よりも開拓魂が強く、さとうきびを栽培し砂糖工場を作ったりと、成功を収めた人が多いそうです。
その当時、テニアンには現在の何倍もの人口で、テニアンの中心地サンホセ村の中には日本人街もあったそうです。
びっくりですよね!!
今はそんな跡形もなく、人口3,000人に満たないとっても静かな田舎の島なんですけどね・・・。

しかし、第二次世界大戦では、移民者の多くの方が、米軍の空襲や地上戦そして日本の皇民化政策の犠牲になり、そしてテニアンの街は焼け野原となってしまいました。
その犠牲になられた方の魂を弔う為に、たくさんの慰霊碑がテニアンにはあります。
その一つが、この「沖縄平和記念碑」です。
これは米軍に追い詰められた日本人が「日本万歳」と叫びながら身を投じたスーサイドクリフに建てられています。

遠くテニアンまで来て命を落とされた沖縄の皆様のご冥福と、そして平和な地球の時代が一日も早く訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
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