エクアドルの著名な芸術家・グアヤサミンの作品を展示する 「ラ・カピージャ・デル・オンブレ」は、キト市の緑の多いエリアの高台にあります。 「ラ・カピージャ・デル・オンブレ」は直訳すると「人間の礼拝堂」という意味になります。 グアヤサミンの作品は、 ラテンアメリカの民衆の暮らしや社会をテーマとし、 国際的に高く評価されています。 壁画も手掛け、エクアドル政府や議会庁舎、 スペインのマドリッド国際空港、パリのユネスコ本部、 サンパウロのラテンアメリカ議会などで、 その作品を見ることができます。 グアヤサミンは1919年、キトに生まれ、地元の美術学校で学びました。 10人兄弟の最年長で、早くして母親を亡くし、家庭は貧しかったそうです。 学生時代、仲の良い友人を抗議デモの最中に亡くしたことが、 彼の作風に影響を与えたといわれています。 若くして数々の芸術賞を受賞し、 やがてラテンアメリカ各地を旅して、民衆の暮らしに触れた彼は、 貧困、抑圧、差別などのテーマに取り組んでいきます。 ラ・カピージャ・デル・オンブレの外観は無機質ですが、 中に入ると大きな吹き抜けが特徴的です。 この吹き抜けの上の天井に、ポトシ鉱山の労働者達をモチーフにした作品があります。 ポトシはボリビアにある南米最大級の銀鉱山で、 産出される銀はスペインの繁栄を支えましたが、鉱山の労働環境は劣悪でした。 鉱山労働者の寿命は短く、その環境は今も根本的には変わっていないと言われます。 独特の白黒の強烈なタッチで、その厳しい状況が描かれています。 グアヤサミンは1999年に亡くなり、その3年後の2002年、 彼の邸宅の隣接地にラ・カピージャ・デル・オンブレはオープンしました。 ラ・カピージャ・デル・オンブレと同じ敷地内に、 グアヤサミン邸が公開されています。 美しい邸宅の中には多数の美術品が展示されています。 広いアトリエも残され、グアヤサミンの生前のインタビューがビデオで紹介されています。 グアヤサミンの作品は、人間の尊厳や幸せについて、考えさせられます。 キトで時間があれば、ぜひとも足を運んでみたいところです。 https://www.webtravel.jp/sanature/11548.html
南米の民衆を描いた画家 グアヤサミン
エクアドルの著名な芸術家・グアヤサミンの作品を展示する
「ラ・カピージャ・デル・オンブレ」は、キト市の緑の多いエリアの高台にあります。
「ラ・カピージャ・デル・オンブレ」は直訳すると「人間の礼拝堂」という意味になります。
グアヤサミンの作品は、
ラテンアメリカの民衆の暮らしや社会をテーマとし、
国際的に高く評価されています。
壁画も手掛け、エクアドル政府や議会庁舎、
スペインのマドリッド国際空港、パリのユネスコ本部、
サンパウロのラテンアメリカ議会などで、
その作品を見ることができます。
グアヤサミンは1919年、キトに生まれ、地元の美術学校で学びました。
10人兄弟の最年長で、早くして母親を亡くし、家庭は貧しかったそうです。
学生時代、仲の良い友人を抗議デモの最中に亡くしたことが、
彼の作風に影響を与えたといわれています。
若くして数々の芸術賞を受賞し、
やがてラテンアメリカ各地を旅して、民衆の暮らしに触れた彼は、
貧困、抑圧、差別などのテーマに取り組んでいきます。
ラ・カピージャ・デル・オンブレの外観は無機質ですが、
中に入ると大きな吹き抜けが特徴的です。
この吹き抜けの上の天井に、ポトシ鉱山の労働者達をモチーフにした作品があります。
ポトシはボリビアにある南米最大級の銀鉱山で、
産出される銀はスペインの繁栄を支えましたが、鉱山の労働環境は劣悪でした。
鉱山労働者の寿命は短く、その環境は今も根本的には変わっていないと言われます。
独特の白黒の強烈なタッチで、その厳しい状況が描かれています。
グアヤサミンは1999年に亡くなり、その3年後の2002年、
彼の邸宅の隣接地にラ・カピージャ・デル・オンブレはオープンしました。
ラ・カピージャ・デル・オンブレと同じ敷地内に、
グアヤサミン邸が公開されています。
美しい邸宅の中には多数の美術品が展示されています。
広いアトリエも残され、グアヤサミンの生前のインタビューがビデオで紹介されています。
グアヤサミンの作品は、人間の尊厳や幸せについて、考えさせられます。
キトで時間があれば、ぜひとも足を運んでみたいところです。
https://www.webtravel.jp/sanature/11548.html