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S様/高雄の友人O君と日本で生活した12週間 第2弾
担当コンシェルジュ : 伊奈 典子
【2019年9月14日[Sat] ご出発】
S様/高雄の友人O君と日本で生活した12週間 第2弾
ウェブトラベル 伊奈様。
ご報告の続きです。
すっかり東京の生活に馴染んだO君ですが、台湾へ戻る日が来ました。
9/14(土)、「帰りたくない~」といった感じのO君、少し元気がありません。
成田空港のカウンターへチェックイン手続きに行くと、今回は誰も見知った職員さんがいなくて、少し説明に手間取りました。
「男性スタッフを揃えますね」と言われて待っていると、すっかり顔なじみになったいつもの職員さんが来て下さったので、安堵しました。
搭乗口でいつものストレッチャーのような車椅子へ括り付けられ、座席までO君が運ばれて行きます。
毎回、汗だくになってO君を車椅子から座席に移動していただく皆さんに、頭が下がります。
O君はどうも体調が良く無いようで、機内食も手をつけませんでした。
成田を発って高雄に着くまで、ずっと寝ていました。
高雄空港に着くと、他の乗客が降りるまで待機です。
O君は車椅子タクシーに連絡を取っています。
キャスター付き長椅子が運ばれて来ました。
座席の前まで入り込めるので、やはりこのタイプの方がO君を運ぶには好都合なようです。
高雄空港では空港職員のお一人に車椅子タクシーまで送っていただき、12週ぶりの自宅へ戻ってきました。
玄関には変わらず、正月飾りに謹賀新年がずっと貼られています。
風水の考え方が浸透している台湾の人達は、おめでたい物はずっと飾っておくのでしょう。
今回、O君を送り届けると同時に、高雄の弁護士を訪ねました。
O君を正式に私の養子にするために動いてもらえるよう、
委任状を書いて必要な費用を支払ってきました。
O君との約束は増える一方です。
それならば、転倒して痛めた脊椎を日本で治療し、歩けるようにするのが早いと考えたのです。
この夏場の12週の間、O君を私のかかりつけの整形外科の医師に診せました。
治る可能性はある。
必要なら大学病院に紹介状も書く。
そう言っていただけたので、私は「O君を歩けるようにする」計画をスタートさせました。
お義父さんとお母さんは、来日した間に、千葉にいる私の母に会っていただきました。
「次に日本へ連れて行くのは、裁判所の許可が下りて僕の養子になる時だからね」
O君にはそう言い残して、私はまた一人、高鉄、空港MRTを乗り継いで桃園空港からタイガーエアで帰国しました。
伊奈様、どこまでできるかわかりませんが、今の私の一番の目標は、O君が再び歩けるようになることです。
今月か来月に、高雄裁判所による養子の許可判断が出る見込みです。
引き続きお力をお貸し下さい。
よろしくお願い致します。
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伊奈 典子 wrote:
S様
レポート第2弾も有難うございます。
楽しかった日本のご滞在もしばし終わることになり、O様の寂しさが伝わってくるかのようなご帰国日でしたね。
思い返せば、S様の最初の海外旅行という事で、台湾のご旅行を手配させて頂いてから、はや5年近くとなりましたが、
その間、事故による脊髄損傷での車いすの生活を送られれいるご友人O様を、高雄まで何度となく見舞われて来られました。
私もS様の献身ぶりと、O様との固い絆に感動し、そしてO様の屈託のない笑顔に癒されてきました。
そのO様を、日本での治療のために、S様の養子にされるお考えとお聞きした時には、驚きとさらなる感動に震えましたが、そこからの道のりも簡単なものではなかったですね。
ただ今年になり、S様のご尽力がようやく実を結びそうなところまで来ているとお伺いし、心から嬉しく思いました。
次にお手配をさせて頂くときは、O様をご養子として迎えられる際かもしれないという事で、今から本当に楽しみにしています。
O様が治る可能性があるという先生からのお言葉は、何より支えになるかと思います。
O様の治療のために、周囲の皆さんのご協力も得られ、歩行の夢が叶えられること、そのために、S様のご養子となられて日本で治療される日が来ることを陰ながらお祈りしています。
是非、これからもお二人のお手伝いさせて下さい!
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伊奈 典子
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S様/高雄の友人O君と日本で生活した12週間 第2弾
ご報告の続きです。
すっかり東京の生活に馴染んだO君ですが、台湾へ戻る日が来ました。
9/14(土)、「帰りたくない~」といった感じのO君、少し元気がありません。
成田空港のカウンターへチェックイン手続きに行くと、今回は誰も見知った職員さんがいなくて、少し説明に手間取りました。
「男性スタッフを揃えますね」と言われて待っていると、すっかり顔なじみになったいつもの職員さんが来て下さったので、安堵しました。
搭乗口でいつものストレッチャーのような車椅子へ括り付けられ、座席までO君が運ばれて行きます。
毎回、汗だくになってO君を車椅子から座席に移動していただく皆さんに、頭が下がります。
O君はどうも体調が良く無いようで、機内食も手をつけませんでした。
成田を発って高雄に着くまで、ずっと寝ていました。
高雄空港に着くと、他の乗客が降りるまで待機です。
O君は車椅子タクシーに連絡を取っています。
キャスター付き長椅子が運ばれて来ました。
座席の前まで入り込めるので、やはりこのタイプの方がO君を運ぶには好都合なようです。
高雄空港では空港職員のお一人に車椅子タクシーまで送っていただき、12週ぶりの自宅へ戻ってきました。
玄関には変わらず、正月飾りに謹賀新年がずっと貼られています。
風水の考え方が浸透している台湾の人達は、おめでたい物はずっと飾っておくのでしょう。
今回、O君を送り届けると同時に、高雄の弁護士を訪ねました。
O君を正式に私の養子にするために動いてもらえるよう、
委任状を書いて必要な費用を支払ってきました。
O君との約束は増える一方です。
それならば、転倒して痛めた脊椎を日本で治療し、歩けるようにするのが早いと考えたのです。
この夏場の12週の間、O君を私のかかりつけの整形外科の医師に診せました。
治る可能性はある。
必要なら大学病院に紹介状も書く。
そう言っていただけたので、私は「O君を歩けるようにする」計画をスタートさせました。
お義父さんとお母さんは、来日した間に、千葉にいる私の母に会っていただきました。
「次に日本へ連れて行くのは、裁判所の許可が下りて僕の養子になる時だからね」
O君にはそう言い残して、私はまた一人、高鉄、空港MRTを乗り継いで桃園空港からタイガーエアで帰国しました。
伊奈様、どこまでできるかわかりませんが、今の私の一番の目標は、O君が再び歩けるようになることです。
今月か来月に、高雄裁判所による養子の許可判断が出る見込みです。
引き続きお力をお貸し下さい。
よろしくお願い致します。