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お客様からのお便り

担当コンシェルジュ : 木内 みつ子
【2006年9月5日[Tue] ご出発】 海外

M.H.様/小説に登場するイタリア文化遺産にふれる旅10日間

今度のイタリア旅行では大変お世話になりました。
以下、長くなりますが、ほんの少し変わった目からの顛末記です。


今度の旅行は孫娘からの突然の誘いで思いがけなく実現してしまいました。

1)木内さんとの出会い

妻がリウマチでひざが悪く、注射と薬で大分回復してはいましたが、そのせいかやや疲れやすく、最初は逡巡しましたが、孫が学生生活の最後でこの機会しかない、というので実行することにしました。
そのため、スケジュールが目一杯のグループ・ツアではとてももたない、ということでゆっくりのんびりしたカスタムを、と孫がインターネットで調べ、一番よさそうだ、と決めたのが木内さんでした。
結果、正解・最高だったと思っています。欲張らずローマ3泊、フィレンツェ3泊、ミラノ2泊の旅で、われわれ年寄り(私73才、妻71才)だけはビジネス・クラス、孫はエコノミーにしました。
言い出しっぺの孫が何かと忙しく、ギリギリ綱渡りの準備でしたが、木内さんの適切かつテキパキした手配のお蔭でイタリア旅行を楽しむことができました。


2)全体

大きなトラブルもなく、まずは順調な旅でした。
何より全行程、晴天続きでした(9月上旬ということもあり暑い日もありましたが)。
東京は天候不順だったようですが‥。

タクシーを多用しましたが、最初に "Buongiorno." と声をかけ、さらに "Fa caldo, oggi.(今日は暑いね)" とやるとドライバはニコニコ顔で「イタリア語上手ね(イタリア語で)」などとおだててきます。
なに、それプラスアルファしかできないんですが、先手必勝です。
続いて "Parla il giapponese?(日本語話せます?)" と聞くと、まず "No" と返ってきます。追い討ちをかけて "L'inglese?(英語は?)" "Un poco(ちょっとだけ)" などとやって英語に引っ張り込みます。それもダメというドライバには恩着せで、たどたどしいイタリア語です。そんなことをしているうちに大抵目的地です。


3)ローマ

◇まずローマ空港。型どおりの入国審査も終わり、荷物をもって税関はどこかな、と思ううちに表に出てしまいました。
昔に比べて全てがあっけないくらい簡略化されていて、私には拍子抜けでした。
「みゅう」のピックアップ・カー・サービスのドライバもすぐにわかりました。

ホテルは典型的なヨーロッパ・スタイルで、私は個人的にはこういうタイプは好きですが、さすがに古さは否めませんでした。たまたまでしたが、われわれ(ツイン)の部屋ではバスタブの排水から漏水したり、天井裏に設置してあるエアコンの室外機からも漏水したりで、毎晩ちょっとした騒ぎでした。
ホテル側は恐縮して部屋を変える、といってきましたが、孫と隣り合わせの部屋でしたのでそのままとし、その代わり漏水ふき取り用に大量のタオルを用意させました。
天井から漏水したときはスタッフが鼻歌交じりで直していきました。 "I'm sorry" といいながら‥。
孫は3都市を通して結局ツイン部屋を独り占めで結構広く使ったようでした。


◇翌日からは観光で初日は市内観光。
ドイツからの使者たまたま私たち3人だけ、8人乗りコーチでゆったりの上バスと違って小回りが利き、目的地の直近までクルマで廻ってもらえたので歩く距離が短く、とくに足の悪い妻は大助かりでした。
当日はヴァチカンで法王の謁見があったらしく、大勢の関係者(信者)がそれぞれ揃いの格好で集まってきており、とくに現法王の出身地ドイツからは何台もバスを連ねてきていましたし、日本からお坊さんも来ていました。ガイドさんも珍しいこと、とのこと。


トレビの泉ではガイドさんからコインは右手にもって左肩越しに投げる、ということ、ついでにすぐ近くにおいしいジェラートがあることも教わり、われわれ年寄りには久し振りのアイスクリームでした。
8人乗りコーチのお蔭で温存できたエネルギーは、妻が「どうしても」と言っていた「真実の口」見学のために少し歩くのに費やしました。

この日、ホテルでテレビを見ていたら、秋篠宮・紀子様の映像が何度か流れて "bambino" という単語が聞き取れ、語尾が男性形の "o" だったので、男子誕生を知りました。


◇観光2日目はヴァチカン美術館とサン・ピエトロ寺院など。
サン・ピエトロ大聖堂前この日もわれわれ3人だけ。個人的には1968年(38年前)出張帰りに週末を利用して一晩だけローマに泊まったときに見た印象がよみがえり懐かしい思いでした。
スペイン広場を散策し、あとはホテルでゆっくり。


4)フィレンツェ

◇ローマからはユーロスターでのフィレンツェ行きです。
38年前、当時有名だったイタリア映画「終着駅(テルミニ)」につられてわざわざ終着点の写真を撮りに行った時と比べ、電光掲示板などが新しいこと以外ローマ駅も変わっておらず、これも懐かしい思いでした。
異国の列車の旅も楽しいものです。ただ、日本の新幹線と違ってホームから列車に乗り込むのにステップが3段くらいあり、30kgのスーツケースを持ち上げるのはさすがにこたえました。
20kgながらキャスタもないスーツケースを持って走り回った昔に引き換え、歳を思い知らされました。
今度からは小振りなもの2個にでもしなければ‥。



◇フィレンツェのホテルもこじんまりしたヨーロッパ・スタイルでしたが、ローマのホテルに比べてはるかに新しい感じで快適でした。
ただし、スタンダード仕様ではシャワーだというので、差額を払ってバスタブのデラックスに変更しました。お蔭で妻はゆっくりと足のマッサージができました。

ホテルの立地条件は最高でした。
ドゥオモとヴェッキオ橋の中間で、少しヴェッキオ橋寄り。
ヴェッキオ橋までわずか200mあまりで、気が向けば何度でも行けます。
ただし、その都度お金が品物に化ける、という危険と隣り合わせです。
ドゥオモも上まで上り、周囲を一周しました。

ウフィツィ美術館・・・ヴェッキオ橋  ピサの風景

◇翌日はピサ行き。私にとっては22年振り。
斜塔は前回は勝手に上まで登れましたが、今回は当時より観光客がはるかに多く、外からの眺めだけ。
それでもやはり圧巻でした。
今回、ガイドさんの説明でピサは地盤が弱く、他の建物も結構ガタガタとゆがんでいる、と聞かされ、よく見るとなるほど水平のラインが微妙に曲がっていたり‥。


◇孫はお目当ての買物がほとんどフィレンツェに集中しており、ほぼ100%目的を達したようでした。次のミラノでもそうでしたが、店の場所、行き方など、驚くほどよく調べていたのには妻共々驚きでした。つい先日VISAの請求がきましたが、フィレンツェでの買物数が群を抜いていました。


◇ウフィツィ美術館も、予約のお蔭で待たずに入場。
私自身は22年前、国際会議で1週間フィレンツェに滞在しましたが、ウロウロする暇もなく、当時は外から彫像などを眺めただけでしたが、今回は中身を堪能しました。


5)ミラノ

◇ユーロスターでフィレンツェからミラノ行き。
妻がどうしても食堂車を試したい、というのでそれに合う時間帯の列車にしました。
10年ほど前、カナダでジャスパーからバンクーバーまでの夜行寝台が楽しかったことも頭にあったようです。異国の列車食堂も楽しいものです。


◇翌日の市内観光はもう一組(二人連れ)と一緒の5名の少人数。
これも小回りが利きました。最後は中心の繁華街での解散で、買物・散策に便利でした。
ガイドさんが日本語が通じるレストランを教えてくれたので、試しました。
アーケードの中は世界中の観光客があふれており、日本人も多いのでしょう。その囲い込みに日本語のできるスタッフを抱えているのでは、とこれは勝手な想像です。
ところで、アーケードの中心の四つ角、銀座で言えば鳩居堂のある4丁目の角、といったところの3つの角は有名ブランド店でしたが、残り一角は何とマクドナルド、何ともちぐはぐな感じでした。
ドゥオモは改修中らしく一部シートがかかってはいましたが、さすが壮大でした。
私にとってはこれも22年振り。


◇ミラノのホテルは駅近く、アメリカ式のヒルトン。ここでは connecting-room の2部屋で中で行き来ができ、何かと便利でした。


◇最終日、最後の買物もありそうだったので、ピックアップ・カー・サービスを1時間繰り上げてもらいました。
すいているうちにチェックインができ、ついでにサロンのことを聞いたら、エコノミーの孫もどうぞ、というので、3人でビジネス・クラスのサロン(アリタリアのマニフィカ・サロン)でゆっくりしながらの買物。
ピックアップ・カー・サービスのドライバーは多少日本語ができましたが、私のイタリア語とチョボチョボ、という感じで、空港まで面白い道中でした。


◇道路といえばクルマ。イタリアのタクシーは概してサーカスのような運転です。
しかし、歩行者に対しては慎重で、その点は大したものです。
そうそう、ローマとフィレンツェは町が古くて道路が狭く、ミニカーの "スマート" が走り回り、一方通行(unico)だらけです。ミラノは結構道幅が広く、その分スマートも少ない感じでした。
タクシーで "Molto SMART" などというと話が弾みます。ちなみにイタリア語では「スマルト」と「r」の音が入ってました。


◇最後の最後、ミラノ空港で出国手続のあとの税関での免税手続で、税関オフィスは分かりにくい場所でしたが、Changeで聞いたらすぐわかりました。
案内書では買物の現物、領収書、免税の様式などを揃えるように書いてありますが、ミラノ空港に関する限り様式を提出するだけで係官がサインしてスタンプを押してくれました。
現物には眼もくれずあっさりしたものです。係官によるのかもしれません。


◇帰りのアリタリア航空では型どおりイヤホンが配られましたが、AV機器が故障で役立たず。トイレも紙切れのまま。こういう点は日本の航空会社とは大違いです。



以上顛末記ですが、事前に周到に手配して頂いたお蔭で、大変スムーズにことが運んだ旅でした。
フリータイムを多く取ったため、妻は疲れれば(足が痛くなると)ホテルで休養するし、孫は何度もヴェッキオ橋に足を運ぶなど、大満足だったと思います。

振返ってメールの記録を見ると、木内さんとの間ではざっと60通もの往復がありました。随分迷惑をおかけし無理をお願いしたこと、あらためてお詫びとお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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