バルセロナの空港に着いたら少し緊張しました。駅や空港にスリがいる 客引きをするタクシーは危ない ガイドブックの注意を思い出しました。
タクシー乗り場でタクシーに乗りこの旅初のスペイン語で「Aranea Hotel por favor」と言ったのに最初に着いたのは近くのAで始まる名前の別のホテルでした。①私の発音が悪かった ②運転手さんが勘違いした ③わざと間違えた
私の名誉(なんてないのですが)の為と気分のいい旅にするために答えは②にしました。
部屋に到着後 バスルームの様子を見ている時に電話が・・・。「何だろう?フロントからかな?」面と向かって話すのも怪しい私が電話でスペイン語なんて無理無理。居留守を使ってしまおうかと思ったのですが、思い切って出てみると「Hola,Tomoko」マリーカルメンからでした。結局私は「Si Si Si.... Hasta luego」しか言わなかったかも知れません。
インフォメーションでプラサマヨールへの行き方を聞いたのに歩きたくない気持ちが勝りタクシーを拾ってしまいました。日本ではこんなに気軽にタクシーに乗れないのでいい気になってます。
プラサマヨールまで行ってからお店を探そうとしたのですが、途中で運転手さんにお店の名前Chocolateria San Ginesを伝えたら近くまで行ってくれました。さすがガイドブックに人気店と載っているだけあってお客さんでいっぱいでした。
2人分のchurros con chocolateを頼んで出てきた量にびっくり。1人前プラスchocolateにするべきでした。座る場所もなかったのでカウンターで立ち食いでした。あまり量が多くて食べ切れなかったのでお詫びを言って残してしまいました。
土曜の午後とあって一帯は人だらけでした。あの人たちはあの後何処へ行くのでしょう? 翌日の出発が朝早いこととお腹がいっぱいだという理由でホテルに戻ることにしました。スペイン人はこれからなのに。
今度こそメトロ・・・と思ったのですが娘はメトロにいい印象を持たなかったのでここでもタクシー。最初に乗ったタクシーの運転手さんはRafael Hotel を知らなかったのでカーナビに頼ることにしまた。スペインに来て初めてカーナビに頼る運転手さん。「Rafael Hotel 」「ラファエル オテル」「H.O.T.E.L」「H.O.T.E.L」と何度も行っているのに「オテロ」「オテロ」と「O」から入力するものだから目的地が表示されず「この人はダメだ!」と思い「Podemos bajar?」と言ってタクシーを降りました。次に乗った運転手さんもホテルがわからずカーナビ頼みでした。
F様/VAMOS
旅行前にはスリ、引ったくり、ぼったくりが怖いとかなりビクビクしていましたが、旅行直前の地震でそれ以上の問題が発生してしまいスペインの治安の事など考える暇もありませんでした。
(結局日本にいる時よりは気をつければいいというだけで杞憂に終わりましたが)
地震の影響で息子の卒業式が延期になり旅行と重なることや娘の大学の入学式の中止 テレビで見る被災地の状況 成田から飛行機が飛ばないこと等20年以上も待ってやっと念願がかなう時なのに憂鬱な事だらけで「延期した方がいいのかな」とさえ思いました。でも今回の地震のように「いつ何が起こるかわからないから出来る時に楽しんでおいた方がいい」という知人の言葉に元気づけられ気持ちを変える事が出来ました。
記憶が新しいうちに旅行の報告(自分のための記録なのですが)をします。
21日(月) 日本~バルセロナ
関空へ向かうために早朝に家を出て羽田まで夫に送ってもらいました。カウンターも開いていない静かな羽田空港
関空行き飛行機を待っている時にまさかのアナウンス 「濃霧の為に大阪空港へ行くか羽田に折り返す可能性があります」「うわ~どうしよう?困った。出発前にどれだけ憂鬱にさせるんだ!この旅行は....「羽田に折り返したら全て終わっちゃうけど仕方ないか」と不安と半ば諦めの気持ちで飛行機に乗ったのですが関空に着いたら視界良好でした。全く人騒がせな...
さてルフトハンザのチェックイン時に帰りの便について尋ねると「この便に乗ったらミュンヘン発関空の便には間に合いません」「え~~~っ?」(私は間に合わなくたっていいんですけど娘は入学前にやらきゃならない事が
あるんですよ)高橋さんから「悪いのはルフトハンザなのだから深田さんは何もしないでいい」というような内容の電話を頂いて「確かにそうだ!」と思ったのですが娘の事を考えたら28日には帰国しないとならなかったので
不本意な朝の便に変更してもらいました。計画段階で無理な早起きをする便は避けたはずなのに...。出発直前まで心臓に悪い旅が始まります。
関空~フランクフルト便はほぼ満席で4人並びの真ん中2席でちょっと窮屈でした。
フランクフルトで搭乗ゲートの確認をし バルセロナのタクシーにチップを払う為に細かいお金が必要と思い売店で水を購入 ちょっと飲んだだけなのにセキュリティチェックで取り上げられてしまい「ガムにしておくべきだった」と後悔。
バルセロナの空港に着いたら少し緊張しました。駅や空港にスリがいる 客引きをするタクシーは危ない ガイドブックの注意を思い出しました。
タクシー乗り場でタクシーに乗りこの旅初のスペイン語で「Aranea Hotel por favor」と言ったのに最初に着いたのは近くのAで始まる名前の別のホテルでした。①私の発音が悪かった ②運転手さんが勘違いした ③わざと間違えた
私の名誉(なんてないのですが)の為と気分のいい旅にするために答えは②にしました。
ホテルに着いたのは深夜でしたが、フロントの方は親切で感じが良かったです。しかしスーツケースを広げるには床面積が狭く エアコンの効きが悪く シャワーの出も悪かったのが残念でした。寒かったので室温を上げるかシャワーで
温まりたかったです。翌日は毛布追加してもらいました。毛布がクリーニングされているのかは疑問でした。
22日(火) バルセロナ
いよいよ行動開始 サグラダファミリアまで徒歩10分で行かれるとのことで歩いて行きました。途中で空を見上げでサグラダファミリアのてっぺんが見えて感動。
9時40分くらいに到着したのですが、チケットを購入する人の長い列が出来ていてびっくりしました。昔は並ばなくても入れたのに。
内側がどうだったか昔の事はよく覚えていないのですが、昔はもっとほこりっぽくて洗練されていなかったと思います。
エレベーターで上まで上がった後ひたすらぐるぐる回って降りなければならないので「たまには反対回りしたいわ」と思ったのは私だけではないと思います。
「今度来る時はどれだけ成長してるかな?」と楽しみにして次の目的のグエル公園へ
観光バスのチケットをサグラダファミリア前で購入しバスでグエル公園に行きました。公園近くの建物も昔とは変わっていた気がします。何よりも「ここもか?」と思う程の人の多さにびっくり。公園内をぐるっと回りり再びバスに乗り
カタルーニャ広場へ行きました。せっかく2階建てバスの上の部分に乗れたのに寒い寒い。風が吹いていたので余計に寒く感じました。
コルドバの先生には「暖かいからコートは要らない。ジャンパーで大丈夫。」と言われカルメンの娘のマリーカルメンからは「セビージャの気温は23度。春のように暖かく日中は少し暑い。」とメールにあったので「スペイン=暖かい」の
図式が出来上がっていました。スペインはアンダルシア地方だけじゃないんだって事忘れていました。
とにかく寒くては観光も楽しめないということでコルテイングレスへ行ってそれぞれ服を購入。「寒いから今すぐ着たいのでタグを取って下さい。」と怪しいスペイン語で伝えトイレの場所を教えてもらい服を着込みました。
寒さが緩和された後は空腹も緩和させないといけません。さて何処へ行ったらいいのか?「高橋さんお勧めのお店を探すには時間がかかりそうだし入りやすそうな所へ入ってしまえ。」とコルテイングレスの並びのお店に入りました。
どうやって頼んだらいいのか周りの様子をうかがってから適当に何種か頼み 普段昼間にビールなど飲む事はないのにスペイン人っぽく?「cerveza por favor」 娘は無難にコーラを頼みました。もっと食べたかったのですが胃袋の大きさの
違いを感じ断念。どれも美味しくて満足でした。
その後ランブラスへ行きサンジョセップ市場に入り日本では見られない市場の様子に感動。トゥロン売り場のお姉さんに勧められ試食して美味しかったので買う事に決定。すぐに「下さい。」じゃ面白くないのでカルメンに会う前に数分のスペイン語レッスン?「Hablo espanol」と言うとお店の人も英語よりいいのでしょうか よく話をしてくれました。
その後大きくて安いいちごの魅力に取り付かれ「これを買わなきゃ帰れない。」って気持ちになり 買ったのですがちょっとすっぱかったです。
ランブラスを歩く時は緊張スイッチがONになりました。カバンを前に抱え財布を出す時は気をつけて...。ここで昔変な人に後をつけられて怖い思いをしました。
再びバスに乗って何処にも下車しないで観光しました。初めは上の階にいたのですがコルテイングレスで購入した衣類をプラスしただけでは寒さが凌ぎきれず残念ながら下に降りました。
「サッカーが好きなら絶対ここで降りるんだろうな」とカンプノウスタジアムの外の出店で風に揺れているバルサグッズを眺めてましたが(特にサッカー好きではないけれど)息子がいたらきっと下車していましたね。
翌日にはバルセロナを発ってしまうのでしっかり景色を眺めておこうとキョロキョロしていました。再びカタルーニャ広場に戻ってきてコルテイングレスで食料を調達し(外食する程胃袋にゆとりがなかったので)
ホテルに戻りました。メトロにも乗りたかったのですが、寒くてとにかく早く戻りたかったのでタクシーにしました。スペインはタクシーが安いですね。
疲れと寒さのせいで?少し風邪気味になりこの時から持参した薬を毎食後飲み続けました。「セビージャに行くまでには治さないと!」出の悪いシャワーの温度を上げて何とか体を温めてベッドに入りました。
バルセロナで食事した所は偶然にも高橋さんお勧めのTXAPELAでした。
23日(水) バルセロナ~マドリード
タクシーで駅に向かい AVEでマドリードへ 計画段階で「バルセロナからマドリードまで列車で移動なんて素敵ですね。」みたいな事言っておきながら車窓から外の景色を眺めることなくひたすら爆睡。
アトチャ駅についてタクシー待ちの行列に並び「すごい行列」と待つのを覚悟したのにそれを上回るタクシーの数でどんどん待っている人がはけて行きますね。
AROSA Hotel は部屋に入るまで少し待たされました。フロントの人の感じが悪いと言う事は全くないのですが、他のホテルのフロントの方たちの方が優しい雰囲気で話がしやすかったです。
寒い上に雨が降っていたのであまり歩き回ろうという気も起きず、ガイドブックでチェックして娘が行きたがっていたCentro Comercial ABC と言うショッピングモールを目指し メトロに乗りました。
メトロの中自体は危ない雰囲気はなかったのですが日本の地下道に比べて薄暗くてホームに向かうまで、上に出るまでの雰囲気には馴染めませんでした。ちょっと怖いですね。
地上に出てからどちらへ向かえばいいのかわからず しかし地図を広げながら歩くのは危ないという注意を思い出し 立ち止まってこっそり地図を広げても一体ここは何処?という状態で 近くを通ったお姉さんに地図を見せながら道を尋ねても彼女も良くわからず 数分歩き回り結局タクシーのお世話になりました。
娘がスペインの旅行ガイドを見て一番に行きたいと言っていたショッピングモールなのに行ってみたら期待が大きかった分拍子抜けしてしまいました。日本のショッピングモールやグアムなんかにあるアウトレットを想像していたのだと思います。
ここで昼食を取りましたが食べたのがピザとサンドイッチ スペイン料理じゃなかった 失敗。
タクシーに乗ってプラサマヨールへ 雨のせいなのか人気がなく薄暗くて記憶にあるプラサマヨールとは大違い。晴れていたらもっと賑わっていたのでしょうね。昔来た時には修復中で見られなかった騎馬像の近くまで行って写真撮影しました。
インフォメーションで地図をもらいサンミゲル市場への行き方を聞きました。すぐそこにあるのにスペイン語の訓練のため? スペイン人って地図上で道を説明する時には遠慮なくボールペン書き込みますね。
サンミゲル市場はバルセロナの市場のように見て楽しいより食べて楽しい所ですね。お腹がすいていなかったのでぐるっと回って出てきちゃいました。
これ以上何処へ行くあてもなく どの辺にいるのかもわからず ここでこそ地図を広げたら危ない?とうろうろしているうちにコルテイングレスを発見
昔この辺で足元に荷物を置いておいたら盗まれたと言って困っていた日本人に日本への国際電話のかけ方を聞かれた事を思い出しました。
ホテルに戻るのにまたメトロに乗ってもよかったのですがあの地下の雰囲気を娘が嫌がりタクシーにしました。その後もスペインのタクシー代が安いことに味をしめていい気になって?タクシーばかり乗っていました。
翌日のセビージャ入りを控え早く体調を回復させたかったのでこの日も夜は外食しませんでした。明日は万全の体調でカルメンに会いたいと早めに就寝。
スペインに行ったのに明るいうちにホテルに戻るなんて旅の楽しみを半減させている!とお叱りを受けそうですね。
24日(木) マドリード~セビージャ
カルメンと再会の日(息子の卒業式もこの日) ここは何処ですか? いくらですか? ○○に行きたいのですが。以外の長い言葉で会話しなければならない数時間後を想像して少し緊張。ちっとも進歩のない私のスペイン語・・・。
アトチャ駅からセビージャ駅までまたまた殆どを睡眠で過ごしてしまいました。途中で見かけたオリーブの木?でアンダルシア地方に来たことを感じました。
セビージャではマリーカルメンの言うように暖かったので体調を回復させることが出来ました。
マリーカルメンが教えてくれた駅からAYRE Hotelまでの行き方によると駅を出て左側に進むとロータリーがあり信号を渡った所にホテルはあり徒歩2分でした。そのメモを頼りにホテルのある通りの名前の書いてある出口から出て左に歩きロータリーっぽい所まで来たのにホテルがありません。2分どころか5分は歩いた? 近くにいたおじさんに道を尋ねたらもう一度来た道を戻り・・・ マリーカルメンが教えてくれたのは正面出口を出て左側という意味でした。
大きくて立派なホテルというのが第一印象です。到着と同時に部屋に入る事が出来ました。カテドラル方面に行くには少し遠いけど駅から近いのは移動が楽でよかったです。マリーカルメンのピソからも徒歩圏内でした。
部屋に到着後 バスルームの様子を見ている時に電話が・・・。「何だろう?フロントからかな?」面と向かって話すのも怪しい私が電話でスペイン語なんて無理無理。居留守を使ってしまおうかと思ったのですが、思い切って出てみると「Hola,Tomoko」マリーカルメンからでした。結局私は「Si Si Si.... Hasta luego」しか言わなかったかも知れません。
フロントでカテドラルまでの行き方を聞き初めてのバス利用。その長い車体にびっくりしました。バスを降りて目指すはカテドラル。歩いている老夫婦に道を尋ねました。スペインの人はみんな親切だなと感じる瞬間です。
カテドラルに入るチケット購入時に「大人と学生」と言ったら学生証があるか聞かれました。「ないけどパスポートのコピーはあります。」「年はいくつ?」「18歳です。」「Vale Vale」でチケットが買えました。
ひんやりしたカテドラルの中に入ると自然と背筋が伸びる感じがします。宗教に強い関心もないので取り合えずぐるりと回りコロンブスのお墓だけは見ておきました。
アルカサルに入る時もカテドラルと同じように「Vale Vale」でチケットが買えると思ったらだめでした。厚かましいと思いながらも「カテドラルではOKでしたよ。」と言ったら冷たく「ここはカテドラルとは違う。」みたいなこと言われてしまい、この旅においてスペインで一番恐い顔したおばさんを見た気がしました。
この時期のセビージャはオレンジの木々が花をつけ実をつけ通りはいい香りでした。アルカサールの中もオレンジが多く どうしてもオレンジを持ち帰りたい娘は落ちているオレンジを拾いバッグにしのばせたのでした。
スペインの建造物には日本のようにわかりやすく看板を掲げていないのですね。アルカサールも入り口にアルカサールと書いてある訳でもなく「地図上でここだからここなんだろうな?」と入りました。
その後 マリーカルメンお勧めのバルと、待ち合わせに指定されたカフェを探しました。カフェの方はすぐに見つかったのですが、バルがなかなか見つかりませんでした。尋ねた相手によって言うことが違っていて同じ道を何度も往復した挙句「何だ こんなにわかりやすい所にあったのか。」という結果になりました。やっとの事でたどりついたバルなのに人気のお店らしくすでにたくさんの人で埋まっていました。この人ごみを掻き分けて入り込む勇気もなく娘も乗り気ではなかったのでまたまた不本意ながらスターバックスで軽食。何でスペインに来てまでスターバックス?と情けなくなりました。ゆっくり座れたので良かったのですが。
約束の5時まで時間があったので馬車に乗って観光しました。御者のお兄さんは自由というかなんというか・・・。私たちを馬車に乗せて進んだと思ったら知り合いに会って馬車を止めおしゃべりタイムが始まりました。「あの~私たち乗ってるんですけど・・・。お客さん無視ですか?」と内心思ったけれど日本みたいにお客様絶対主義みたいじゃないところもスペインだと思えば頭には来ませんでしたけど。日本でこんなことは絶対許されないし絶対あり得ないことですね。途中でタバコを吸うのですべて後部座席の私たちに煙がかることなんかお構いなし。日本じゃ受動喫煙が問題になってるのにスペインはどうなんでしょう? 何処の都市へ行っても歩行喫煙の数がかなり多いことに驚きました。
約束の5時前に指定されたカフェに入り注文しようとした時に背後から「Tomoko?」の声がして振り向くとマリーカルメンでした。懐かしいというよりも何故かついこの前会ったばかりの友人と会う感覚でした。
私たち親子はzumo de naranjaをご馳走になりました。何でもかんでもホット以外は氷の入った飲み物が当たり前の私たちに氷なしのオレンジジュースは新鮮でした。
「今日の夕飯は9時半からだけど、いいかしら? カルメンがトルティージャ作ってるわよ。」と言われ日本人感覚で「え~~っ 9時半?」と思ってしまいましたがここはスペイン 郷に入っては郷に従え。
マリーカルメンはアメリカ留学経験があり英語が堪能で英語の先生をしています。私に話す時はスペイン語で娘には英語と使い分けてくれたのですが たまに逆になって私に英語ならまだいいのですが、ちんぷんかんぷんの娘に向かってスペイン語を話す時はなんだかおかしかったです。
少し散歩をしてからマリーカルメンのご主人と合流し川沿いを散歩したり 地元の人と一緒の地図の要らない心強い散歩が出来ました。ホテルの近くまで同じバスで戻り「9時に迎えにくるから」と言われ一度別れました。
8時を少し回った頃でしたが「このままではカルメンの前で眠ってしまいそう。」だったのでしっかり30分くらい眠りました。
9時少し前にマリーカルメンに迎えに来てもらい彼女の車でいよいよカルメンの待つピソへ。今日本(東日本だけですか?)では地震後に節電が呼びかけられていますが、カルメンのピソは真っ暗でドアの外の通路も通るときにスイッチを入れて数秒で自動的に切れるようになっていました。節電 節電というけれど日本ではかなりの所で無駄に電力が消費されている事に気づかされました。
ドアの向こうにカルメンがいると思うとドキドキ・・・。ドアを開けて廊下を進んだらカルメンが待っていてくれました。本当に嬉しかった瞬間でした。しかしマリーカルメンと同様懐かしいという感覚はありませんでした。
「痩せたわね」「この子(娘を指して)が全く寝ない子でいつも抱っこしていて私が寝る暇なくて疲れてましたから」「マリーカルメンも同じ 寝ない子だったわ」「二人は似てないわね」「この子は父親に似てます」なんて会話をしている間にマリーカルメンとホセ夫妻は食事の用意をしてくれました。
テーブルの上には生ハムとチーズとトルティージャとコロッケとサラダとパンと・・・「こんなにたくさん生ハムがお皿に乗ってる」と生ハム大好きな私はワクワクしてしまいました。生ハムは手で食べるんですね。食後には果物やヨーグルトなどのデザートを頂きました。
食後は全ての部屋を見せてくれました。素晴らしい! 我が家なんか人が来たら「ここは絶対見ないでね。」という来客時に物を押し込んでしまう部屋があるというのに・・・。
屋上へ行き夜景も眺めました。日中暖かいセビージャもさすがに寒さを感じ「frio」と言ったら「 Fresco」と返されました。
「普段は忙しいから週末までいるならパエージャ作ってあげるのに・・・」とマリーカルメンに言われ「高橋さ~ん 日程の変更お願いします。」なんてお願いしたくなってしまいましたが「いや コルドバに行かないことには次のスペイン語のレッスンで先生に会わせる顔がない。」と現実に戻りました。
20年以上待ったカルメンとの再会も3時間くらいで終わってしまいました。思っている事言いたい事が自由に話せる会話力を持ち合わせていないのがとても残念でしたが、20年以上に渡りクリスマスカードを送り続けていたので気持ちは通じたのではないか思います。
カルメンも81歳になり心臓の手術をしたり 目が悪くなってきたりしていて「今会っておかない後悔する。」という気持ちで会いに行ったのに「また近いうちに会えるはず。」に変わっていて別れる時も不思議と寂しくありませんでした。
25日(金) セビージャ~コルドバ
駅に近いと移動が楽だし時間の心配もいらないので気持ちに余裕を持ってホテルを後にしました。駅に着いてからまずコルドバ行きのAVEは何番線発かの確認。どんなに注意深くボードを探してもCORDOBAの文字がない。余裕でホテルを後にしたはずなのにここで慌てました。発車時刻の同じMADRIDO行きの表示を見た娘に「あれじゃない?」と言われやっと気づきました。コルドバは途中駅でした。セビージャへ来るときも途中のコルドバに止まったのを忘れてました。
MACIA ALFAROS Hotel は外観に比べたらずっと中は素敵でした。ここのホテルだけ部屋の床がカーペット敷きでした。朝食で生ハムをたっぷり食べられて嬉しかったです。他のホテルに生ハムがあったかはあまり記憶にないのですが、他のホテルではチョリソを食べていました。
コルドバに来たらまずメスキータ フロントで地図をもらい道を教えてもらいメスキータへ向かいました。コルドバは地図がないと(あっても)目的地に行くのは難しいですね。
メスキータの中の不思議な空間で暫く過ごした後 橋を渡りカラオーラの塔へ行きました。ヘッドホンで説明が聞けて日本語版もあるとスペイン語の先生が言ってたから期待して行ったのにありませんでした。仕方ないのでスペイン語版を借りたのですが何を言っているのか理解できるわけもなくBGMのように聞き流して展示物を見て出てきました。
その後は先生お勧めのレストランへ行くのですが、メスキータから近いのになかなか見つかりません。ただで道を尋ねるのも気が引けたので(日本人的?)アイスを買いながら道を尋ねたらすぐ近くでアイスを食べ終わる前に到着してしまいました。
朝食をしっかり食べてしまったのであまり空腹感はなかったのですが「先生お勧めだから行っておかないことには・・・。」と中に入りました。「パンはいくら食べてもただで なくなったら追加してくれる。」とも聞いていたのですが、日本のパンのほうがずっと美味しい!とは言わないことにします。カルメンの所でにご馳走になったコロッケが美味しかったのでここでもcroquetaをオーダー。 娘はgaspachoに興味があったので頼みましたがピーマンの味が強すぎて今ひとつでした。
先生から聞いていたFlamenquinがコルドバの料理だということで一番食べてみたい料理でした。隣のテーブルを見てRabo de Toroも頼んでしまいました。それほど空腹でもないのに料理が運ばれ頑張って食べました。もうこの時点ではこれ以上胃袋が受付けられない状態でした。他の料理は全て来たのにFlamenquinだけが来ないので 聞いてみたらオーダーはしていませんでした。Flamenquinについて説明してもらった時にオーダーしたつもりでいたのですが。一番食べたかった料理なのに「Quere?」「No」になりました。
花の小道は何度も通っていたのに気づかずに通過していて 掃除していたおじさんが手を休めて案内してくれました。日本人も笑顔で道案内出来るといいですね。
ホテルに一度戻ってからスペインに来たらコルテイングレスに行かないと・・・?タクシーでコルテイングレスに行きました。あの細いくねくねした道や「ここも道なの?」と思うようなところを走るのがとても楽しかったです。帰り道は普通の道で戻りました。コルドバは一方通行ですか?
本当にスペインに来て何をしているんだか・・・。この日も満腹につきコルテイングレスで調達したパンを夕飯に。しかもお風呂上りに疲れて眠ってしまい夜中の2時頃目が覚めて食べてました。
週末の夜だったせいか夜中は外で騒ぐ声がしていました。
26日(土) コルドバ~マドリード
マドリード行きのAVEの時間が少し遅いので朝食後に部屋でのんびりしながらメールをチェックすると高橋さんから「サマータイムにはいるので1時間早めて下さい」とあり関空以来の心臓に悪い瞬間が来ました。
昨日なのか今日なのか明日なのか頭の中が一瞬パニック 「今からじゃ間に合わない!?」「AVEのチケットを買いなおさなきゃならない?」チケット?を持って慌ててフロントに行き「もう時間かわっちゃたんですか?この列車に乗りたいんですけど間に合わないですか?」と聞いたらフロントのお姉さんが「まだですよ。」と微笑んでくれてホッとしました。
2度目のアトチャ駅。今度のRAFAEL Hotelは徒歩で行かれるというので歩く気満々でいたのはいいのですが大きな駅ゆえに目的の通りに出るのに一苦労でした。列車の中から見えていたのに駅を出たらどちらへ行ったらいいのかわからず。女の人に道を尋たら仕事中で忙しかったらしくタクシー乗り場を指して向こうで聞くようにと言いました。「タクシー乗るつもりもないのに運転手に道だけ尋ねるなんて出来るわけないでしょ!」と内心でつぶやき自力でホテルを探すことに。
適当に歩いているとストリートビューで見た壁が見えてきました。「そうそうこの壁沿いに歩けばホテルがあったわ。」と得意になって?ホテルに向かいました。スペインは犬の糞が多いですね。
とても素敵なホテルでした。フロントで朝食の時間を言われた時に「残念だけど明日早くここを出るから朝食は食べられないんです。この飛行機に乗ります。」と飛行機の予約権を見せました。「朝食が取れないなんて残念ですね。」って表情で(そう見えました)「Coges?」って聞かれたと思うので「Puedes?」と返して朝食をテイクアウトできるつもりでいました。
この日のマドリードは曇っていましたが寒くなく散歩には快適でした。いつものようにフロントで地図をもらい美術館を目指しました。美術館めぐりと王宮見物 churros con chocolate を食べる事を計画していました。
ソフィアに向かう途中でquiosco発見。「テニスの雑誌はあるかな?」「あった~!ナダルだ」「買わなきゃ 買わなきゃ」とテニスをやらないくせにナダルファンの私はワクワクしたのですがここで買っても美術館をめぐっている間に丸めてボロボロになる事を考えてやめておきました。
ソフィアは土曜日は2時30分から入場無料という下調べもしないで2時20分にチケットを買おうとしたら「後10分・・・・」と言われ10分で閉館してしまうと思い込んで「じゃあプラドも閉館ですか?」なんて「何言ってるんだろう?この人」と思われたに違いないとんちんかんな事を言ってしまいました。閉館なのに何故こんなに人が待っているのか不思議に思うこと数分。
ソフィアよりティッセンの方が面白いと先生が言っていたのですがやっぱりゲルニカは見ないと・・・。さすがにゲルニカの前には人だかり。何処の国にもいるんですね。撮影禁止なのにカメラ向ける人。
ソフィアを後にしたらやっぱり気になるナダル。もうここには戻らないので買おうと先ほどのquioscoに向かったら閉まっていました。もう閉店? シエスタですか? 残念な気持ちと共にプラドへ向かいました。
アトチャ駅近くで日本人の女の子2人組にソフィアの行き方を聞かれ久々に娘以外と日本語会話。彼女たちはプラドからソフィアへ向かったのだと思います。
少し歩くと再びquiosco発見。「もう絶対買ってやる!」と買う気満々でお店を開いていたのか閉じていたのかわからないけれどお兄さんに向かって「テニスの雑誌ありますか?」と無理やり奥の方にあった雑誌を取ってもらい3ユーロ払いました。
「こんな雑誌は日本にはないのか?・・・」のような事を言った後の言葉は全く聞き取れませんでした。「ナダルはricoでsencilloでスペインのお母さんはみんなあんな息子が欲しいと思ってるのよ。」とマリーカルメンが言っていましたがスペインのお母さんじゃなくたってあんな息子が欲しい!
プラドのチケットを購入する列を見て感じたのは「何故すいている所があるのに長い列の後ろで待つ人が多いのだろう?」いう事でした。普段の生活で少しでも早くレジを済ませたくて変に競ってる日本人の方がおかしいのでしょうか?
プラドに入ってまずは先ほどの雑誌を保護するために雑誌よりも高いロゴ入りバッグを購入。その後カフェで小休止。こじゃれた雰囲気なのに空のグラスと缶のファンタを渡されて意外でした。
あいにく私たち親子は絵画を鑑賞するという高尚な趣味を持ち合わせていないので有名どころは押さえておこうと教科書で見たことのあるような画を見て回りました。マハは前回時間がなくて探せなかったので今回こそ!と見てきました。
時刻を見ると4時30分を回っていました。ガイドブックを見たら王宮は5時まで。本当は美術館より王宮に行きたかったのですが諦めてchurros を目指しました。ティッセンには行きませんでした。
インフォメーションでプラサマヨールへの行き方を聞いたのに歩きたくない気持ちが勝りタクシーを拾ってしまいました。日本ではこんなに気軽にタクシーに乗れないのでいい気になってます。
プラサマヨールまで行ってからお店を探そうとしたのですが、途中で運転手さんにお店の名前Chocolateria San Ginesを伝えたら近くまで行ってくれました。さすがガイドブックに人気店と載っているだけあってお客さんでいっぱいでした。
2人分のchurros con chocolateを頼んで出てきた量にびっくり。1人前プラスchocolateにするべきでした。座る場所もなかったのでカウンターで立ち食いでした。あまり量が多くて食べ切れなかったのでお詫びを言って残してしまいました。
土曜の午後とあって一帯は人だらけでした。あの人たちはあの後何処へ行くのでしょう? 翌日の出発が朝早いこととお腹がいっぱいだという理由でホテルに戻ることにしました。スペイン人はこれからなのに。
今度こそメトロ・・・と思ったのですが娘はメトロにいい印象を持たなかったのでここでもタクシー。最初に乗ったタクシーの運転手さんはRafael Hotel を知らなかったのでカーナビに頼ることにしまた。スペインに来て初めてカーナビに頼る運転手さん。「Rafael Hotel 」「ラファエル オテル」「H.O.T.E.L」「H.O.T.E.L」と何度も行っているのに「オテロ」「オテロ」と「O」から入力するものだから目的地が表示されず「この人はダメだ!」と思い「Podemos bajar?」と言ってタクシーを降りました。次に乗った運転手さんもホテルがわからずカーナビ頼みでした。
これで20数年ぶりのスペイン旅行はほぼ終了。しかしまだ問題が・・・。携帯に目覚まし時計代わりをさせていたので時刻の調整が自動で出来るかどうかが心配。4時30分に起きようとしていたので念のため3時30分に設定。
(特に帰りの便については朝の出発が早すぎると言う事で飛行機を選び直して頂いたのに更に1時間も早起きしなければならないなんて・・・。)
翌日すぐにホテルを発てるように帰り仕度をしてテレビを見ながら過ごしました。
日本の地震についてはやはり関心度が高いようですね。ナダルの出ている車のCMも見ることが出来ました。通販番組はどこも同じで美しくなりたい、かっこよくなりたい願望を叶えます的な商品は世界共通みたいですね。
あっという間の1週間でした。
27日(日)マドリード~日本
3時30分に携帯が鳴り 時刻が調整されている事を願いながらフロントに何時か聞いたら4時30分でした。損した気分?で身支度して部屋の最終チェックをしてフロントへ行くとタクシー運転手が待っていてくれました。
前日フロントの人が飛行機の時間を見て5時にタクシー手配のメモを取っていたので、それはいいのですが、あの「Coges?」は何だったのでしょう?Bocadilloでも持たせてくれるのかと思い込んでいて娘にも「何か持たせてくれるみたいよ。」なんて言ってたのに。単に願望のこもった思い込み?「Por favor」と言わなかったのがいけないのでしょうか?
まだ薄暗い中を空港へ 運転手さんが車内の温度を上げたはずなのに一向に温まらず。日曜日だからと言われメーター表示より高い45ユーロを払いました。曜日で料金が変わるというのは旅行で言ったら繁忙期 閑散期みたいなものですか?
ガイドブックにルフトハンザはT1とあったから行き先聞かれて「uno」と答えたのにT2でした。
カウンターでは関空で帰りの便を変更したためかすんなりチェックインできずお姉さんは何処かに問い合わせていました。大阪と東京どちらがいいか聞かれ一度は大阪と答えたものの帰るなら早く帰りたいと東京を選びました。
ミュンヘンではミュンヘン発とミュンヘン乗り換えとカウンターが違うようで少し迷いました。
ドイツ語になったらもうお手上げ。ドイツ語なまりの英語は聞き取りにくい なんてネイティブの英語だって聞き取れない私が言えるわけないのですが。
搭乗券を見たら座席がAとC 「誰か真ん中に入るの?気使って嫌だね。」なんて言ってたのにAの次がCでした。 Bがないのは何か理由があるのですか? 日本人が4を嫌うみたいに。
くっついて座っていたのに席はガラガラ。キャビンアテンダントが「何処に座ってもいい。」といったのでみんな移動し始めて殆どの人が2~4席を独占していました。窮屈な機内を想像していたので快適で良かったです。
仁川まで来て日本はすぐそこなのに待たされるのはもどかしいものでした。
さて やっとの事で日本へ着きました。「どうせ荷物はすぐ出てこないからね。」とトイレに立ち寄って時間稼ぎをしてからベルトコンベアーから出てくる荷物を待ちました。流れてくる荷物が少なめだったので「乗客が少ないから荷物も少ないのかも知れない。」と軽い気持ちで待っていたら係りの人に「これで終わりです。荷物のない人はあちらのカウンターへ行って下さい。」と言われ手続きをしました。「いつか戻ってくるのだから重たいスーツケース転がして帰宅しないで済んでラッキー。」と喜んでいましたが仕事の資料を入れていた人やすぐに必要な人は困っていました。
荷物が届いたのは2日後でした。お詫びの一筆くらいあるかと思ったのですが事務的な事しか書いていませんでした。
以上長くなりましたがこんな感じです。
先週の今頃はまだスペインにいましたが本当にスペインに行ったのか不思議な気持ちです。また近いうちに行ってカルメンに会える気がしてなりません。次回はちゃんと?夜出かけて美味しいものを食べたいと思います。
今回は本当にありがとうございました。おかげ様で旅行中は全く問題もなく過ごせました。旅行前後は問題ばかりでしたが。また機会があればよろしくお願いいたします。ブログも読ませていただきます。(親子でサラマンカ留学いいですね)