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屋富祖様・山城様/静かなるポーランド
担当コンシェルジュ :
伊藤 八重子
【2014年7月16日[Wed] ご出発】
屋富祖様・山城様/静かなるポーランド
最高の手配旅行でした!!
――木漏れ日と、不屈の民の国ポーランド――
沖縄から 屋富祖昌子様(文)・山城幾子様(写真)
沖縄から女二人、ワルシャワ、クラクフ、ザコパネを5泊7日。航空券はじめ、列車やバス、ホテル、そして日本語ガイドさんと、伊藤八重子さんの行き届いた手配のおかげで、何の心配もなく、心から楽しめる旅となりました。以下、ご参考までに。
1. 大きな移動。
① 飛行機:沖縄―羽田間は省略します。
往路は、羽田―ミュンヘン―ワルシャワ。
復路は、クラクフ―ミュンヘン―羽田。
航空会社はルフトハンザ。
乗り継ぎが一回だけなら荷物は通しで預けられますので、機内や乗り継ぎ空港では貴重品と眼鏡を入れた小さいバック一つでOK.ミュンヘン空港での乗り継ぎには90分は必要。
理由は、二つ。
まず、搭乗口での手荷物及び身体検査がとても厳重で時間がかかるため。Tシャツの上に羽織っている女性の上着やベルトまで外されました。
また、帰路ではミュンヘン空港から乗る観光客も多く、今度はimmigrationが行列でした。
もう一つの理由は、ポーランド行の搭乗口は端っこで、しかもバスでずっと離れた場所まで移動。
帰りのクラクフも空港拡大工事中で、市内からのバスがどこに着くかわからなかったため、タクシーで国際線入口まで乗り付けてもらいました。正解でした。
② 列車:ワルシャワからクラクフまでは列車で移動。
伊藤さんが座席指定で一等車を予約してくださり、大助かりでした。
駅では日本と違って列車の停止位置の表示はなく、列車が入ってくると、ホームに溢れている人たち(夏休みなので子供連れも多い)が、どどどっと雪崩れこみます。
昇降口はとても狭くて、高く、ホームとの間が大きく開いているので、お子様連れの「雪崩」をかいくぐって乗るのは難しい。
荷物の小さい私たちでさえ、ちょっと二の足を踏む光景でした。
一等車は一両だけでしたが、さすがに普通に乗車できました。
ただし、ホームのどこに自分の乗る車両が来るかは、予めホームで編成表を探してみておく必要があります。
③ バス:長距離大型バスは快適でした。これまた伊藤さんが予約券を取って下さり、日本にいながらポーランドのバスの座席予約??と驚きましたが、これも正解。
バス発着所でも列に並ぶという概念自体が無いようです。
しかし、運転手のおじちゃんが乗客名簿で確認しつつ乗せますので、座席指定がなくても予約があれば間違いなく乗れます。
一方、座席指定しておいても、そこにすでに他人が据わっていることもよくある、そうです。
今回はポーランド国内の列車とバスの予約あり、で大正解でした。
2. 市内の移動.
ワルシャワではバスを使いました。
バス停の販売機でお金を入れて、表示に従って一日券、一人、zone 1などを押すと、券が出てきます。バスに乗ったら、すぐに改札機に入れてガッチャン。これで24時間後の有効期限終了の時間が書き込まれるようです。
あとは何度でもこの券で乗れるので、乗り間違えても大丈夫です。
日本と逆通行なので、方向音痴の方はご注意!バス亭の名前などは全くわかりませんので、ポーランド語の市街地図をホテルでもらって持ち歩きましょう。
行きたい所を指させば、停留所にいる人たちが方角を教えてくれます。バス停にはキチンと時刻表があり、今居る停留所名は黒枠囲み。そこから下が行き先ですので、その中に、例えば帰りだったら、町の中央を示すCentrumという停留所名があればこの番号のバスでOK。
見当たらなければ、別の番号のバス時刻表を見ます。逆に、当該停留所名より前にあれば、道路の反対側のバスに乗ればいい、という事になります。
いくつもバスが来ますので、慌てなくても大丈夫です(と言いつつ、私はいつも慌てました)。
歩いて楽しむためには、必ず地図を持ちましょう
ワルシャワとクラクフでは日本語ガイドさんをお願いしました。どちらも4時間の約束で案内していただきましたが、とても勉強になりました。
ワルシャワの街は大きいので迷子になりそうですが、ガイドさんのおかげでキュリー夫人の生家やバルバカン城壁の中にも入ることが出来、細かい説明も聞くことが出来ました。
でも街にはショパン博物館はあちらとか、歴史博物館はこちらという様な表示は無いようでした。
キュリー博物館前で。
クラクフでは私たちの乗った列車が遅れた為、ガイドさんは駅のホームでとても心配して待っていてくれました。
大急ぎでWawel城や旧市街を案内してもらいましたが、ここもまた復元された街。建物の壁には、かつて海だったことを示すアンモナイトの化石も使われていました。1364年に創られたヤギェオ大学もありました
クラクフ。建物の壁にアンモナイト化石。
それぞれの街の歴史を聞きながら、日本人の近・現代史の不勉強・無関心を痛感させられました。
シベリアに流刑されたポーランド人で、後に北海道へ渡り、アイヌの女性と結婚して、アイヌの民俗学や口承文学の大著を表したBronislaw Piksuuskii氏のことなど、日本とポーランドの関係は知らない事ばかりでした。
ホテルと駅、バスターミナルとの関係。
旧市街の建物は、レンガ一つずつ、石一個ずつを市民が拾って再建したものだそうです。ワルシャワ大学もその一つ。
道路のいたるところにある銅像には、禁じられたポーランド語で美しい詩を書いて人々の心を支えた詩人ミツキェビッチもありました。
また、サスキ公園には無名戦士の墓があり、衛兵が二人、一時間交代で直立。ここは支配者ではなく、ポーランド独立のために戦って死んだ無名の人々を悼む場所で、なんと972年以降の戦争の記録が石に刻まれていました。なぜ、こうまで街の歴史と再建に力を注ぐのか、その理由の一端を見る想いがしました。同時に、私たちは日本でそれを持っているだろうか、という思いも。
クラクフ
クラクフでは、Wawel城に行き、はるか遠くまで開けた壮大な眺めと豊かな土地、そして1000kmを流れてバルト海にそそぐWista河を心ゆくまで眺めました。
豊饒な土地であるが故に繰り返される侵略と、その防衛に明け暮れた平原の民。幾たび繰り返せば終わるのかと、ともすれば絶望したくなるような長い歴史。煉瓦一つ一つからの再現・復興も、この街への人々の愛着と誇りがあったからではないかと、つくづく思いました。
ワルシャワでもクラクフでも、ホテルから駅またはバスターミナルまで前日に歩いて「予行演習」をしておきましたので、当日は迷うこともなく、ゆとりを持っていくことが出来ました。
ザコパネ
ザコパネ、Willa Koliba。今は博物館。
夏のザコパネ。河で水を飲む羊の群れ。
だけど牛も羊も、乳搾って
、
喰って、
そして・・・
今回の旅行は以下の諸点で、最高の手配旅行でした。
1. 移動手段の手配が全て済んでいたこと;
2. 夜到着のワルシャワ空港に、迎えのタクシーを手配してもらえたこと;
3. ワルシャワとクラクフで日本語の堪能な現地ガイドさんを頼んで下さったこと;
4. ホテルが街や駅・ターミナルに近くて、たいへん便利だったこと;
5. どのホテルでも朝食が素晴らしかったこと。
伊藤八重子さんに心から感謝しております。有難うございました。
7月16日ご出発 屋富祖様 山城様
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屋富祖様・山城様/静かなるポーランド
――木漏れ日と、不屈の民の国ポーランド――
沖縄から 屋富祖昌子様(文)・山城幾子様(写真)
沖縄から女二人、ワルシャワ、クラクフ、ザコパネを5泊7日。航空券はじめ、列車やバス、ホテル、そして日本語ガイドさんと、伊藤八重子さんの行き届いた手配のおかげで、何の心配もなく、心から楽しめる旅となりました。以下、ご参考までに。
1. 大きな移動。
① 飛行機:沖縄―羽田間は省略します。
往路は、羽田―ミュンヘン―ワルシャワ。
復路は、クラクフ―ミュンヘン―羽田。
航空会社はルフトハンザ。
乗り継ぎが一回だけなら荷物は通しで預けられますので、機内や乗り継ぎ空港では貴重品と眼鏡を入れた小さいバック一つでOK.ミュンヘン空港での乗り継ぎには90分は必要。
理由は、二つ。
まず、搭乗口での手荷物及び身体検査がとても厳重で時間がかかるため。Tシャツの上に羽織っている女性の上着やベルトまで外されました。
また、帰路ではミュンヘン空港から乗る観光客も多く、今度はimmigrationが行列でした。
もう一つの理由は、ポーランド行の搭乗口は端っこで、しかもバスでずっと離れた場所まで移動。
帰りのクラクフも空港拡大工事中で、市内からのバスがどこに着くかわからなかったため、タクシーで国際線入口まで乗り付けてもらいました。正解でした。
② 列車:ワルシャワからクラクフまでは列車で移動。
伊藤さんが座席指定で一等車を予約してくださり、大助かりでした。
駅では日本と違って列車の停止位置の表示はなく、列車が入ってくると、ホームに溢れている人たち(夏休みなので子供連れも多い)が、どどどっと雪崩れこみます。
昇降口はとても狭くて、高く、ホームとの間が大きく開いているので、お子様連れの「雪崩」をかいくぐって乗るのは難しい。
荷物の小さい私たちでさえ、ちょっと二の足を踏む光景でした。
一等車は一両だけでしたが、さすがに普通に乗車できました。
ただし、ホームのどこに自分の乗る車両が来るかは、予めホームで編成表を探してみておく必要があります。
③ バス:長距離大型バスは快適でした。これまた伊藤さんが予約券を取って下さり、日本にいながらポーランドのバスの座席予約??と驚きましたが、これも正解。
バス発着所でも列に並ぶという概念自体が無いようです。
しかし、運転手のおじちゃんが乗客名簿で確認しつつ乗せますので、座席指定がなくても予約があれば間違いなく乗れます。
一方、座席指定しておいても、そこにすでに他人が据わっていることもよくある、そうです。
今回はポーランド国内の列車とバスの予約あり、で大正解でした。
2. 市内の移動.
ワルシャワではバスを使いました。
バス停の販売機でお金を入れて、表示に従って一日券、一人、zone 1などを押すと、券が出てきます。バスに乗ったら、すぐに改札機に入れてガッチャン。これで24時間後の有効期限終了の時間が書き込まれるようです。
あとは何度でもこの券で乗れるので、乗り間違えても大丈夫です。
日本と逆通行なので、方向音痴の方はご注意!バス亭の名前などは全くわかりませんので、ポーランド語の市街地図をホテルでもらって持ち歩きましょう。
行きたい所を指させば、停留所にいる人たちが方角を教えてくれます。バス停にはキチンと時刻表があり、今居る停留所名は黒枠囲み。そこから下が行き先ですので、その中に、例えば帰りだったら、町の中央を示すCentrumという停留所名があればこの番号のバスでOK。
見当たらなければ、別の番号のバス時刻表を見ます。逆に、当該停留所名より前にあれば、道路の反対側のバスに乗ればいい、という事になります。
いくつもバスが来ますので、慌てなくても大丈夫です(と言いつつ、私はいつも慌てました)。
歩いて楽しむためには、必ず地図を持ちましょう
ワルシャワとクラクフでは日本語ガイドさんをお願いしました。どちらも4時間の約束で案内していただきましたが、とても勉強になりました。
ワルシャワの街は大きいので迷子になりそうですが、ガイドさんのおかげでキュリー夫人の生家やバルバカン城壁の中にも入ることが出来、細かい説明も聞くことが出来ました。
でも街にはショパン博物館はあちらとか、歴史博物館はこちらという様な表示は無いようでした。
キュリー博物館前で。
クラクフでは私たちの乗った列車が遅れた為、ガイドさんは駅のホームでとても心配して待っていてくれました。
大急ぎでWawel城や旧市街を案内してもらいましたが、ここもまた復元された街。建物の壁には、かつて海だったことを示すアンモナイトの化石も使われていました。1364年に創られたヤギェオ大学もありました
クラクフ。建物の壁にアンモナイト化石。
それぞれの街の歴史を聞きながら、日本人の近・現代史の不勉強・無関心を痛感させられました。
シベリアに流刑されたポーランド人で、後に北海道へ渡り、アイヌの女性と結婚して、アイヌの民俗学や口承文学の大著を表したBronislaw Piksuuskii氏のことなど、日本とポーランドの関係は知らない事ばかりでした。
ホテルと駅、バスターミナルとの関係。
旧市街の建物は、レンガ一つずつ、石一個ずつを市民が拾って再建したものだそうです。ワルシャワ大学もその一つ。
道路のいたるところにある銅像には、禁じられたポーランド語で美しい詩を書いて人々の心を支えた詩人ミツキェビッチもありました。
また、サスキ公園には無名戦士の墓があり、衛兵が二人、一時間交代で直立。ここは支配者ではなく、ポーランド独立のために戦って死んだ無名の人々を悼む場所で、なんと972年以降の戦争の記録が石に刻まれていました。なぜ、こうまで街の歴史と再建に力を注ぐのか、その理由の一端を見る想いがしました。同時に、私たちは日本でそれを持っているだろうか、という思いも。
クラクフ
クラクフでは、Wawel城に行き、はるか遠くまで開けた壮大な眺めと豊かな土地、そして1000kmを流れてバルト海にそそぐWista河を心ゆくまで眺めました。
豊饒な土地であるが故に繰り返される侵略と、その防衛に明け暮れた平原の民。幾たび繰り返せば終わるのかと、ともすれば絶望したくなるような長い歴史。煉瓦一つ一つからの再現・復興も、この街への人々の愛着と誇りがあったからではないかと、つくづく思いました。
ワルシャワでもクラクフでも、ホテルから駅またはバスターミナルまで前日に歩いて「予行演習」をしておきましたので、当日は迷うこともなく、ゆとりを持っていくことが出来ました。
ザコパネ
ザコパネ、Willa Koliba。今は博物館。
夏のザコパネ。河で水を飲む羊の群れ。
だけど牛も羊も、乳搾って、
喰って、
そして・・・
今回の旅行は以下の諸点で、最高の手配旅行でした。
1. 移動手段の手配が全て済んでいたこと;
2. 夜到着のワルシャワ空港に、迎えのタクシーを手配してもらえたこと;
3. ワルシャワとクラクフで日本語の堪能な現地ガイドさんを頼んで下さったこと;
4. ホテルが街や駅・ターミナルに近くて、たいへん便利だったこと;
5. どのホテルでも朝食が素晴らしかったこと。
伊藤八重子さんに心から感謝しております。有難うございました。
7月16日ご出発 屋富祖様 山城様